2010年12月28日火曜日

網代のニギス

 下田と東京方面を往復する時は夜出発になることが多い.仕事が片付かずにグズグズするうちに早立ちが困難となるのだ.下田から上って車を走らせてゆく時には、どこかしらのスーパーで鮮魚の美味そうなもの、もしくは面白そうなものを探す.素敵に安いものがあれば購入して運ぶ.下田でスーパーあおきやマックスバリュに寄らずに発った場合には、途中を探す.伊東辺りだとやはりスーパーあおきかスーパーナガヤなのだが、下田発時間が遅いと、途中の店は閉店になってしまう.そこでよく寄るのが午後 11 時半まで営業している網代のヤオハンである.ネットで調べてみると、正式には熱海多賀店と呼ぶらしい.鮮魚コーナーのここしばらくの常連さんはカマス・アジ・イワシだったが、12 月 3 日の深夜に寄った時に沼津産ニギスを入手した.深夜のスーパーは半額食品なども多くてお得だが、ニギスたちは半額でないのに 4 匹で 72 円だった.あまり安いと、なんだか魚と漁師さんに悪い気がする.でも、ありがたく 4 パックばかり購入し、天ぷらで頂いた.独特の風味がある白身で、食感は優しく柔らかく、何ともいえずに美味かった.

2010年12月27日月曜日

水中失せ物のリターン

無事帰還したノギスと物差し
 11月 13 日に愛着あるノギスと物差しをうっかり失くしてしまった話を書いたが、その後の顛末についてコメントしていなかった.あの 3 日ばかり後、研究室の学生 S 君が自分の計測作業のために潜水した時に、私が落とした辺りで拾い上げてくれた.おかげで無事に私の手元に戻って来た.金属物差しの角がわずかに錆びかけていたが、軽くヤスリをかけて錆び止めしておいた.むやみに嬉しかった.水中で失くした物は、あまり強烈な流れがない場所で、海底に沈降する物体であれば、結構見つかるものかもしれない.今まででは、学生 N 君と潜水した時にアクリルハウジングに入ったデジカメを見失ったことがあり、これが最も高価な失せ物である.2 人で必死に探しまわっても見つからなかったために泣く泣く諦めて帰ったのだが、このカメラは 1 週間ばかりしてから地元のかつぎ漁師の婆ちゃんたちに拾ってもらうことができた.驚くべきことにハウジング内は浸水すらしていなかった.海女の婆ちゃんたちと我慢強かったオリンパスハウジングに涙が出そうなくらい感謝した.調査フィールドを共用していると人の道具を拾うこともある.カジメ調査に志太が浦フィールドに潜った時に少し錆びた物差しを見つけた.私の物ではなかったので、近隣のフィールドで仕事する K さんの物だろうと思い、持ち帰って手入れして黙って道具入れに立てておいた.K さんは次の調査準備時にすぐ気がついたらしく、照れ笑いしていた.

2010年12月1日水曜日

変なカメラ

 いつも携行していたデジカメが春頃に故障してしまっていたのだが、新しいカメラの購入は家計を圧迫するため、我慢を続けていた.Amazon.co.jp の『欲しいものリスト』や『カート』に候補カメラを入れたり出したりしながら、入手できる日を夢見ていた.しかし、ついにチャンスがやって来た.年末に至って海外調査の予定が入り、そのうえお世話になった先生の喜寿のお祝い会も近づいて来た.いずれにも記念すべき得難き瞬間、撮影すべき場面があるに違いない.これは絶対にカメラがないといけないと、ついに自分と家族を納得させる購入の理由ができた.資金は連載の執筆料数回分を当てる.何しろ、予定外収入なのだから大丈夫なのである、と予定外収入はローンの繰り上げ返済に使うという計画を反古にしてしまった.
購入したカメラは Canon の Powershot SX130IS である.携帯にはちょっと大きめだが、10 年前の標準的なデジカメよりは小さめであるから文句は言えない.フィールド研究者のカメラだが、防水機能はない.あくまで日常生活における私用カメラである.機種を選定した理由の第一は値段が安いことで、実売価格は 1 万 5 千円以下だった.しかも、Amazon のスペシャルセールとかで、カメラケースが無料だったのだ.加えての理由は、画像がきれいで高機能なことであり、単三電池 2 個で動くことも魅力的だった.プログラム AE やシャッター優先撮影、絞り優先撮影が出来る機種が安いというのは嬉しかった.たとえ上手く撮れても、なんでもオートのカメラは面白くない.光学ズームも 12 倍だ.この機能でこの値段で良いのだろうかとちょっと不安なくらいだった.それなのに、何とビデオカメラ並みに動画も撮れるし、なんだか変なお遊び撮影モードもいろいろ付いていた.こいつは面白そうだと思い、魚眼レンズ風撮影モードで友人や家族の変な顔をたくさん撮ったが、本人たちが可哀想だし、名誉毀損になりそうなので、ここには載せない.代わりに『指定色以外を消す』という変なモードがあって、なかなか楽しかったので、撮影写真を載せてみる.庭に咲いていた花の黄色だけピックアップした写真と草の丘でそり滑りしていた坊主のそりの青色だけピックアップした写真だ.前者では花弁だけが浮き出し、後者では、服の袖の青色も写り込んで、なかなか素敵な写真になった.せっかく長い我慢の末に入手したデジカメである.その機能をフルに使わせて頂きたい.





2010年11月27日土曜日

メタルのカエル

 メタルのカエルが自宅の部屋の中に居る.バイク乗りカエル(右の写真)とバンド演奏カエル(下の写真)は、ボルトやナットやワッシャや鉄線などのメタル部品を巧みに溶接して、カエルの様々な姿態を形作ったオブジェである.何とも渋くて格好良く、眼の部分には瞳のように光を映して、表情も豊かだ.夏に九州まで自家用車で往復した時に、中国自動車道の吉和サービスエリアで入手した.サービスエリアの売店の一画にメタルカエルコーナーがあり、楽器演奏とバイク乗車のカエルたちを売っていた.楽器カエルにはボーカル&ギター、ドラム、サックス、トロンボーン、トランペットなどを演奏するものがあり、バイクカエルはバイクのパイプの構造などが若干異なるタイプがいくつかあるのみで、ほとんど同じスタイルのものが並んでいた.クールなバイクカエルの他に我が部屋常駐のバンドメンバーとして、ボーカル&ギター、ドラム、サックスのカエルを連れ帰った.
これらのメタルカエルたちを、はたして誰がどこで作っているのだろうかと気になって、試しに『メタルカエル』でグーグル検索したところ、いろいろ出てきた.どうも北海道の『仁木きのこ王国』で売られているカエルと同じ物のように見える.もっと上等に仕上げられたものはアーサ・ワードという人のメタルカエル作品群だ.かなり精巧な細工で着色もされていて、完成度が高い.こちらがオリジナルで、私が入手したのはこれらのコピー商品と言うかいわゆるバッタもんなのだろうか.いずれにしても、私は大変に気に入っている.目下のところ心配なのは錆が来ることである.カエル達には仕上げの油が薄く引いてあるように見えるが、海の近くの我が家では、空気中に海水の微粒子が常時漂っていると信じてよいくらい金属製品が錆びやすい.どのタイミングで KURE CRC 6-66(海用防錆剤)を吹き付けてやろうかとタイミングを計っているところである.

2010年11月25日木曜日

しんかい 2010 デビュー

 11 月 14 日に『しんかい2010』ブルースユニットが下田市民文化会館大ホールでデビューした。4 曲披露したのだが、とにもかくにも良い経験となった.小さな部屋でお互いの音を生に近い状態で聞きながら掛け合いつつ演奏する感じが、800 人収容できるホールの大きなステージの上で、音はモニタースピーカーから聞きながら演奏するという環境とは全然違うことを実感した.客席は真っ暗な海のようで、まるで聴衆の顔が見えない.これはなんだか受け取り手の顔が見えない状態で贈り物をするような感じで、何とも不安定な心持ちとなった.イントロは Little Walter の演奏による Just Your Fool のイントロ部分のコピーから入ったのだが、ウェットスーツにフィンという動きにくい出で立ちでステージに歩いて出てゆくプロセスで、なんだかヘンテコな吹き方となり、出足から音がこけてしまった.ネクトンB 氏によるギターのフォローですくわれたが、リラックスしていたつもりだったのに、緊張が走った.1 曲目の Don't Get Around Much Anymore と St. Louis Blues の組み合わせ替え歌曲で、落下状態から機首を立て直し、何とかなる気がしてきた.2 曲目の Hoochie Coochie の替え歌は、やはり緊張のため、打合せでのフレーズリピートの回数のお約束が頭から飛んでしまい、ちょこっと道に迷い、再びネクトン B 氏に拾ってもらった.だんだん場に慣れてきて、3 曲目のオリジナル曲からのプランクトン T ネエさんとニューストン・キッズの懸命のダンスを見ているうちに気持ちが和み、ラスト 4 曲目はちょこっとグルーブ感も生じてきて、なんとか盛り上がって終わることができた.盛り上がってきて、いよいよこれからだぞ、という感じのところで終わりになったのが、残念だった.伊豆海洋自然塾の広報&宴会部長である O ナベ氏がスチル画像の撮影とともに演奏の一部始終も録画して下さり、YouTube にアップして下さった.準備段階から当日まで、ワイワイと楽しかったイベントが、なんだか今は遙か昔のことのように回想される.ネット画像は、その回想のよすがとなっている.

2010年11月14日日曜日

街の灯を抱きしめたい

 ビルや鉄塔や民家が密集して並ぶ夜の街の灯を遠くから眺めるのが好きだ.建物の色やら細かな形やらは消し飛んで、人の気配や人の活動の証しのみを遠くから望んでいるような気持ちになる.大小色とりどりの灯りの点の寄り集まりが何とも美しくも愛おしい.そこかしこに散らばった灯りたちを、人々の営為を、両手で掻き集めて抱きしめたくなる.特に好きなのは、多摩川や隅田川など大きな川の下流の川幅が広いところで、橋の上から望む景色である.街の灯りの塊を川でスッパリと切り落とした断面のようで、手前を遮られることのない光の広がりが遠くまで続く.街の灯は楽しい.街の灯は嬉しい.突然ポップアップする街の灯もある.下りの小田原厚木道路だろうか、ナトリウム灯と暗闇のつくる黄色と黒の縞模様が内部を彩るトンネル (写真右上*) を抜け出ると、いきなり市街地の灯りが視野全体に広がる(写真右下).下り坂なので、スピードが出ていると車ごと灯りの景色のなかに突っ込んでゆく心持ちになる.こんな場所の街の灯は、驚きを伴って嬉しく美しい.      
 * 追記:弁天山トンネル(980 m)でした.

2010年11月13日土曜日

小春日和に気を許す

 11 月の前半で海水温がぐぐっと急激に 4 ℃ ばかり下がった.11 日、小春日和の心地良い日に定期計測に出かけた時には、水深 10 m で 19.6 ℃ だった.透明度が上がり、浅い所では海水がガラスのように見える.波打ち際の風景は石垣島か宮古島かといった風情である.前日とは打って変わった穏やかな日で、気持ちよく潜水することができた.この日を選んで潜ったわけではなく、前月から予定していた調査日がたまたま好条件の日になり、海の神様に感謝したいところだった.適度にひんやりした澄んだ水の中で気持ちよく潜って、ホンベラやらオハグロベラやらの訪問を受けながら、海藻の計測を順調に終えた.ご機嫌な気持ちになって、コンパスの目盛りを別の場所で作業中のY 氏のいる方に合わせて泳ぎ出した.訪問がてら、もう少し水中散歩がしたかった.エビ採集トラップの設置作業完了を見届けて、そろそろ上がろうかと自分の手元をみて驚いた.水中ノートに取り付けていた物差しとノギスが無くなっていた.しっかりと結わえ付けておくので、落とすはずはないのだが、どこかに引っ掛けたのかもしれない.2001 年から海藻計測に使い続けていた道具を失くしてしまい、なんだか海の中で体の一部をもがれたような気分だった.しばらく探しても発見できず、残念無念に包まれて浮上した.計測を終えてすぐに船に戻れば問題はなかったはずだった.浮かれ気分が災いした.

2010年11月12日金曜日

釜で飯を炊く

 五合炊きの亀印文化鍋で飯を炊くようになって久しい.電気炊飯器に戻る気持ちはもう起こりそうにない.朝5合の米を研いでざるに上げておき、夕食の準備開始と同時に鍋に戻し、適量の水を加えて火にかける.沸騰して吹き始めたら最も弱い蛍火にして10 分炊く.最後に強火で 1 分だけ炊いて残りの水分を飛ばす.そのあとは、蓋を取らずに 10 分置いて蒸らし、蓋を取ったら底の方からしゃもじでかき混ぜて、ふっくらさせておく.その日に食べる1 膳分を確保したら、残りは暖かいうちに 1 膳分ずつラップに包む.粗熱がとれたら、冷凍庫に入れる.食べる度にレンジにかければ、炊きたてに近い感じのご飯になる.わたしのご飯茶碗の場合、5 合からふつう 7-8 膳分取れるので、昼夜に 1 膳分ずつ食べると(私は朝はパン食である)、その後 3 日くらいは米を炊かなくて済む.炊き上がりまで 30 分かからないし、ずいぶんと美味しく仕上がるので、この炊飯プロセスがすっかり気に入っているのだ.

2010年10月31日日曜日

ハキリアリとグローワーム

 夏以来、なかなか子供たちへの家族サービスをしている暇がなかった.この週末は自宅に居たが、季節外れの台風 14 号に祟られて、どこにも出られないと思っていた.だが、台風は予想よりも南の沖合を早めに通過してくれて、日曜の午前中はそんなにひどい天気ではなさそうにみえた.そこで、女房と上の子を家に残し下の子供たちを引き連れて、多摩動物公園に出かけることにした.開園直後に到着するように出かけたこと、台風直後で天候に懸念があったことなどが理由か、園内はずいぶん空いていた.ときどき小雨や霧雨のシャワーを受けることはあったが、概ね快適に園内を巡ることができて、私も子供たちも上機嫌だった.生態展示は見やすく工夫されていて、チンパンジーの UFO キャッチャーと自販機操作やオランウータンの高空綱渡りを見たり、レッサーパンダの名前当てにトライしたり、ライオンバスでガラス板をはさんで 5 cm ばかりの目前に雄ライオンの鼻先をながめたり、蝶の乱舞する昆虫パラダイス温室内でバッタ釣りをして遊んだり、などなど子供たちばかりでなく私もずいぶん楽しんだ.そんな中でとりわけ感心したのが、昆虫館のハキリアリの展示とグローワームの展示だった.ハキリアリが葉を切り抜く様子、運ぶ様子、運んだ葉を処理する様子など一連のアリたちの作業を間近で手に取るように観察できた.それは真に感動的だった.事細かに熱を込めて解説して下さったボランティアスタッフの方にも感心した.ヒカリキノコバエの幼虫であるグローワームは、ニュージーランドで見そびれていたのだが、ここで本物に出合えるとは思ってもみなかった.温湿度をコントロールされた真っ暗闇の中でじっくり見学させてもらうことができたのは、ボランティアの方のガイダンスのおかげだ.前室の薄明かりの中で眼を慣らす方法を教えてもらい、事前解説も事後解説も詳細にして頂くことができた.何を答えても即座に回答してもらえる快感を、久方ぶりに味わうことができた.

黒い富士

 子供の頃から、富士山が見えると嬉しかった.東京に住んでいた頃には、空気の澄んだ冬の日に白い姿を遠く望むことができた.家族で朝霧高原の田貫湖に出かけた時には、明け方の空にしだいに朱に染まってゆく姿を間近に拝した.一昨日、思いもかけず黒い富士を見た.29 日の深夜、台風 14 号が接近するなかを下田から東京方面に向けて走っていた.小雨が降って空は濃い灰色に沈んでいた.ちょうど深夜 0 時に西湘バイパスの石橋インターを入り、上り方面を小田原厚木道路に向かいはじめたところで、空の濃灰色よりずっと黒い山並みが遠くにはっきりと見えた.それに連なって、富士山の形を捉えることができた.雨の真夜中に黒い富士を仰ぐことになるとは思わなかったので、不思議かつ嬉しく、気持ちが昂った.小田原の街の灯りの背景となり灰色の空に影絵のように浮かび上がった黒富士は、妖しくも美しかった.

2010年10月4日月曜日

しんかい 2010 発足

 下田はワカメとヒジキのタイプ産地である.黒船来航の折りにワカメもヒジキも下田周辺の生物調査で採集して持ち帰られ、下田の標本をもとに学名がつけられたのである.つまるところ、全てのワカメとヒジキの代表格が下田産のものであり、下田こそワカメとヒジキの故郷であるということになる.この事実を下田の人たちに分かりやすく伝えようと思い、毎年 3 月に行われるワカメの観察会や下田市のホールで行われた講演会などで『Go!Go!下田のワカメとヒジキ』というブルースにしてハーモニカを吹きながら歌っていた.それが伊豆海洋自然塾のメンバーの BT さんの旦那さんでブルースギターを弾くBF さんの耳に留まった.彼はカッコ良く手直しした曲をきちんと楽譜に落として歌詞の不足部分を補って、曲を完成させてくれた.これに留まらず、われから絵本に着想を得た『ワレカラノウタ』という素晴らしい曲を作詞作曲してこの譜面も作ってくれた.ついに 2 つのオリジナル曲ができたので、これは発表する場を作らねばもったいないということで、我々はブルースギター(ネクトン B.フジオ)とブルースハーモニカ(ベントス A. マサカズ)の『しんかい 2010』というユニットを結成した.秋の下田芸術祭での下田市民文化会館大ホールでの演奏が当面の目標である.実際のところ、2 曲では寂しいので、これにブルースの替え歌なんぞを数曲加えることになった.BF さんは替え歌作詞の名手でもある.まずは、Hoochie Coochie Man の替え歌で『下田の海のワルモノ』ができた.こうなると、どこかでお披露目をしたくなる.そこで、先日の海洋自然塾の講座の休み時間を利用して、海の生き物ブルースシリーズということで、これら 3 曲を演奏させて頂いた.お互いに仕事で忙しいので、各々が練習してきて、当日いきなりリハーサルなしに音を合わせた.これを我らが盟友である Ojinabe 氏が録画してくれた.残念ながら『ワレカラノウタ』はうまく撮れなかったらしいので、『下田の海のワルモノ』『Go!Go!下田のワカメとヒジキ』の 2 曲が You Tube にアップされた.BF 氏の頼りがいのあるギターとボーカルに乗っかって私のブルースハーモニカも世間に泳ぎ出した.それにしても、何がどちらにどう転ぶか分からない.それが世の中の面白いところだ.

2010年10月1日金曜日

納豆パックを洗う

 ふとした事に、なんだか不思議な快感の伴う時がある.無限プチプチとか無限エダマメとか無限缶ビールといったおもちゃが売られているが、これらはそのへんに乗じたものだろう.なんでもない触覚が、奇妙に魅力的なことがあるのだ.納豆パックにそれを感じた.昔は豆腐屋に藁に包まれた納豆が売られていたが、最近の納豆はすっかりパック入りばかりになってしまった.かつてはパック入りは臭くて、納豆本来の風味が無いなどと言われたこともあったようだが、技術の進歩のおかげか、私たちの鼻が馬鹿になったせいか、パック入りで安売りの 3 段重ねや 4 段重ねを買うのが当たり前になってしまった.食事時にパックの中で添付のタレと辛子を入れてよくかき混ぜて、食事のおかずにするのだが、食後のパックには納豆のヌルヌルがへばりついている.これを洗うのが、私には奇妙に楽しい.水をかけつつヌメヌメを洗っていると、あるところを境にまるで霧が晴れるように、納豆の名残が消え去る.パックの白さが急に眼にまぶしくなり、暖かみのある弾力感が指先に突然触れてくる.あの感じが心地良いのだ.例えて言えば、イカの皮を剥く時やナマコを切り開いて内臓を取った後に内側の筋を取り除いて真っ白な内壁を出そうとしている時の感じに似ている.でも、これらは納豆パックに敵わない気がする

2010年9月29日水曜日

鼻毛のこと

 中学生の頃だかに読んだ北杜夫のエッセイで、どんな場面だったのかは忘れてしまったが、鼻毛を抜いてはちり紙の上に植え付けるという話が出てきた.ちり紙の上に毛根を下にした鼻毛が林立する様子を思い浮べて、なんだか楽しそうに思ったが、直立するほど豪快な剛毛状の鼻毛というのは現実的なものとは思えず、フィクションではないかと疑っていた.おそらく、中学生の鼻の穴の中にはひ弱で素直な鼻毛しか生育していなかったためだろう.中年と言うべき年齢域に入ってから、鼻の穴には本当に剛毛状の鼻毛が育つ事を知り、北杜夫の楽しみを追試してみようと思ったことがある.親指と人差し指の爪先で大きな毛をはさんでエイッと抜いてはティッシュのうえに立ててみるのだが、とても痛い.2 本だけ立てて止めてしまった.どうも私に向く作業ではなかったらしい.あるいは、もう少し年を経ると、鼻毛も抜けやすくなるのだろうか.

2010年9月21日火曜日

頭だけのカブトムシ

 これも過ぎた夏の思い出となってしまった.お盆過ぎの昼頃のことである.下の息子が「兄ちゃんは残酷だ」と報告しにきた.当の兄ちゃんに聞いてみると次のような事情であった.頭胸部だけのカブトムシが居た.おそらく朝方にウロウロしていて、腹を鳥に喰われたものだろう.それでも生きていて、動いていた.下の息子は可哀想だからと瀕死のカブトムシに餌の蜜ゼリーをやった.カブトムシの前半身はその餌を食べたという.下の息子は最後の楽しみにと憐れんで餌を与えたらしい.兄ちゃんはそれをむしろ残酷だと考えた.体の下半分がなければ、痛くて苦しいに違いない.そんな体で餌を食べれば、その餌はどこへ行くのか.苦しみを助長するだけではないのか.長い苦しみを与えるよりはあっさりと死んだ方が楽に違いない.そう考えて、大きな石で潰して止めを刺してやったという.それを聞いて、私は言葉を失った.

2010年9月20日月曜日

ニューストン海水浴

 8 月 8 日の熱暑の最中に書こうと思っていた内容なのだが、あたふた過ごすうちに秋も深まり、既に夏の思い出話となった.8 月始めのある休日のことである.いくら砂浜でも泳ぐ時に足を怪我するのは嫌なので、クロックス様のサンダルを履いて泳ぎに出た.本物は高いのでいつもバッタものを履いている.普通の海水浴エリアの沖方に泳ぎ出て、水面に仰向けに浮いてみる.砂浜は人で賑わっていても、ちょっと沖合に出れば、海の表面は空いている.ラッコ的に海に浮かんで思い切り息を吸って、陽の光を浴びながらプカプカと海面で揺れているのは、何とも言えずに気持ちがよい.ウォーターベッドに寝そべっているようなものだ.そこでふと気がついた.いつもは足が沈みがちになるのだが、今年は足先までいい具合に体が浮かんでいる.クロックス様サンダルのおかげだった.ちょうど良い加減の浮力が足先を海面上に支えてくれていた.海表面の直上や直下を利用して棲む生物は、ニューストンと呼ばれる.私の、海水浴場沖合でのプライベート海水浴は『ニューストン海水浴』だ.とっても快適なのだが、広く世間に知れ渡ると、海水浴場の沖合がラッコ状人間の漂流体で埋め尽くされて、私はより沖合のスペースを目指さなくてはならなくなる.だから、ニューストン海水浴の楽しさについては、このブログを見た人と私だけの秘密としたい.


2010年9月13日月曜日

沼津市民大学のこと

 9 月 2 日に沼津市民大学の講師を務めさせて頂いた.沼津市立図書館 4 階の視聴覚ホールで開かれている 7 月から毎月 2 回全 8 回の夜の講座で、私の担当は第 5 回目だった.150 名ほどと思われる聴衆の方々は平均年齢が 65 歳くらいであると伺った.私の話は海の生物全般についてのもので、大きく重力の影響を緩和された海中生物たちでは、動物も植物もホネなしのものが多いことからお話しさせて頂いた.また、海中での昆虫の不在と、そのニッチを埋めていると思われる甲殻類の話なども続けた.90 分の長丁場だったので、中心となる話題を 3 つばかり用意した.さらに、実物の大型海藻も持って行って、話題の中休み的な部分に使わせて頂いた.皆さん始めから終わりまで本当に熱心にお聞き下さり、最後には質問も頂戴した.私よりもひと回りもふた回りも年長の方々が、文学や芸術や科学など、いろいろな分野の話題を選り好みせずに毎回聞きにお出でになっているというのは、素晴らしいことだ.衰えぬ万物への興味と素晴らしい学習意欲に感じ入った.見習ってゆきたいものだ.

2010年8月2日月曜日

心拓塾サマースクールの講師

 7 月 30 日から 8 月 1 日まで心拓塾サマースクールの講師の1人を務めさせて頂いた.もうひとりの講師は我々生物好きダイバーたちの憧れの的である中村宏治さんだった.私にとっては同席させて頂くだけでも光栄なのに、ならんで講師をさせて頂いた.中村さんはスケールの大きな海の話をして下さり、私は海岸動物の少々マニアックな話をさせて頂いた.講義についてのスクールの子供たちからの質問はいつも活発で、私は丁々発止の接近戦でなんとか受け答えしてる感じだったが、中村さんのコメントにはいつも包容力に満ちた大きさがあって、世界中の現場で積み重ねてきた経験が言葉のひとつひとつの裏側から光を放っているように感じられた.私には世界中を駆け巡ることはできないが、せめて自分の研究材料の未知の部分を深く探求することで、小さくても光を伴った言葉を放てるようになりたいと思った.ときには自分自身を測る目安となるような、大きな人の近くで過ごすことが、自分の心の滋養になるのだと、今さらながらに思ったひとときだった.ちなみに、心拓塾サマースクールの様子は 8 月 3 日(火曜)午後 4 時 45 分から午後 7 時までの静岡朝日テレビ『とびっきり静岡』の番組枠内で、15 分間の番組として放映される予定である.

ワレカラ絵本をネットで販売します

 ワレカラ絵本は予想外に売れ行き好調だ.茨城県自然博物館で販売中の分も在庫を尽きそうだということで、お盆前に在庫補充の予定である.口コミで買って頂いている分もずいぶん出ている.自然好きの知人への帰郷時などのお土産にとお菓子代わりにドドンと買ってくれるような人もあり、嬉しい.一方、これまではネットを通じて知って買って下さる方のための窓口がなかった.そこで、私の在住する下田の地元のお茶屋さん『開国茶匠あらい』さんのネットショップで販売して頂けることになった.価格は、送料込みで 1 冊 450 円である.『開国茶匠あらい』の荒井さんは私が下田に来たばかりで右も左も分からない頃からお世話になっている方で、楽天ショップではお茶(煎茶)の部門で 1 位にもなっている.『開港』や『夜明け』といったネーミングのお茶たちもある.ワレカラ絵本と下田のお茶をなにとぞよろしく!

2010年7月11日日曜日

ワレカラ絵本が完成

 『われから絵本』が完成し、ついに世に出始めた.

『ワレカラ』は古今集や枕草子にも名前が出てきて、むしろ古代の人々の間でよく知られた生き物だったようだが、残念ながら現代では知名度がかなり低い.そのワレカラを、絵本にしてみた.

 絵は、大学時代の同級生でもともとは両生類の研究者であった畑中さんが描いて下さった.彼女は『オタマジャクシの尾はどこへきえた』という素晴らしい科学絵本の画家でもある.畑中さんにはワレカラのみならず海藻や他の小動物まで、実物からのスケッチを繰り返してもらい、内容については、できる限り科学的に正確なものになるように努めた.今回の試みでは、ワレカラという動物をできるだけ一般に知ってもらい、その住む環境についても見てもらいたいのである.

 「知らないものは見えない」と、一般によく言われる.知らないものを見えるようにするために、子供のときから知識の地平を拡げるための手伝いをしたいというのが、私たち作者の願いである.生物研究者は、図鑑や本に載っていない多くの秘密の知識を抱えている.とくに自分の研究材料については、楽しいことや面白いことを見つけては、自分たちだけでワクワクしている.でも、そんな知見の多くは、一般の人々の眼に触れることがない.たまに一般向けに取り上げられることがあっても、大人向けの科学雑誌などが舞台となることが多い.だから、絵本という形で、研究者の持つ新しい知見や研究者の言いたいことを吸い上げられたら、面白いのではないかと思うのだ.大人にとっては知名度の低い動物やとんでもない事実などでも、先入観のない子供たちにはすんなり受け入れられることが多いに違いない.ポケモンやムシキング、車の名前、電車の名前、など子供たちは何でも吸収する.小さくても存在感のある、しかも実在する不思議な生き物たちを、子供のころから知ることにより、生物世界の多様性についての認識力を高めることができるのではないか、そんなふうに考えるのだ.

 『われから絵本』を欲しがる人々は生物研究者や生物系の学生、それに生物好きのダイバーには確実にいるはずである.子供たちだけが対象ではない.

この絵本は淡々とワレカラの生物環境を描いたもので、劇的な物語があるわけでも、作者の意図によって特別に心が温まったりするものでもない.生きものの普通の有様や美しさ、そして素晴らしさを感じてもらうものだと思っている.傍らに置いて、折々に繰り返し眺めてはいろいろな発見をするような、そんな本であってほしい.研究者が発信するこのようなスタイルの絵本があっても良いと思うが、確実に大部数の販売を行いたい大手出版社からの出版にはリスクが大きいだろう.今回も大手出版社には出版させてもらえなかった.当然のことだと思う.だから、私家版になった.これから、口コミに頼ったり、ミュージアムショップやダイビングショップ、知り合いの店舗などに置かせてもらったり、加えてネット販売を行い、それらを通じてどれくらい世の人々に見てもらえるかを、問うてみることにしたい.まずは、7 月 10 日から始まった茨城県自然博物館の企画展である『そうだ!海だ!海藻だ!〜命をつなぐ海の森』の会場で、ワレカラの実物標本の近くにこの絵本の見本が置かれ、ミュージアムショップで 350 円で購入できるようになっている.まもなく下田市内の商店のネットショップ上でも販売を開始する予定で、送料は冊数に関わらず 100 円になる見込みである.

挿図:Copyright (C) 2010 Masakazu Aoki & Fumiko Hatanaka

2010年6月1日火曜日

ウェットスーツのオーバーホール

 真っ黒な厚さ 6.5 mm のゴム製ウェットスーツは、保温力が高いが裂けやすいのが難である.些細なキズがきっかけとなって、脱着時にいきなりツーッと裂けて、慌てさせられる.こまめに小さなキズを補修するのが予防策なのだが、たまに裂けるのはどうにも避け難い.そんな時にはガムテープを巻いて応急処置を行い、海から上がってきてからゴム糊で補修を行う.ガムテープでの処置法は、伊東でショップのプロダイバーの方々と潜った時に、緊急対応法として実地で学ばせて頂いた.しかし、ゴム糊での補修はなかなかに難しい.伸縮するもの同士を大きなズレのないようにぴたっと貼り合わせなければならない.切断面の両側にゴム糊を薄くムラなく塗り拡げて、まずは乾かす.急ぐ時はドライヤーで乾かす.表面にさわってもべとつかない程度になったら、おもむろに両断面を貼り合わせる.この時にずれぬよう、予め貼り合わせの目印をマジックで付しておく必要がある.上手に貼り合わせれば、傷が無かったかのように貼り合わせられるのだが、なかなかそのようにはゆかない.裂けと補修を繰り返して 7-8 年も使ううちに、私のウェットスーツはつぎはぎ痕だらけになってきた.補修面に隙間のあるところでは、古屋の隙間風のようにスースーと水が入り込んできた. そのうえ膝の部分が薄くなり始めて、ここからは染むように水が浸入してくる.それでもなんとか我慢して冬の作業に着ていたのだが、4 月中旬の調査時に着ようと思って、ぐっと引っ張ったところ、3 箇所ばかりで同時に巨大な裂け目ができてしまった.ガムテープでの補修が効くレベルの傷ではない.仕方ないので、昔使っていたおんぼろジャージのウェットスーツを引っ張り出してきて、寒さに震えながらもなんとかその日の調査を乗り切った.海から上がって、次の日にはオーバーホールに出した.正直なところ修繕不能で、新調が必要かと思っていた.我々のウェットスーツを作ってくれているのは、I 海洋という作業潜水の器具を売ったり潜水手配をしたりする店の T 氏で、彼の作るウェットスーツは少々値は張るが、極めてフィット感が良い.採寸に基づく成型に色々な経験を注ぎ込んでいるためだろう.今回のずたずたウェットスーツの再生は、さすがの彼でも無理かと思っていたのだが、10 日もした頃に段ボール箱に入って届いた補修済みスーツは見事な芸術作品のようだった.ゴムの劣化部分をすべて取り除いて、薄くなった部分は切り取って、上手に継ぎ接ぎしてあった.表面は見事に滑らかで、接着部分ので凸凹なぞはどこにもない.再び着るのが惜しいくらいの出来映えだった.おかげで、先月の潜水は水漏れのない暖かで快適なものとなった.心からのびのびと水中を楽しむことができた.

2010年5月31日月曜日

卒業生にリンク

 研究室の卒業生から久方ぶりに連絡があった.卒業研究でナマコの研究に明け暮れていた C さんだった.いただいたメールの尻尾にブロクリンクが付いていた.開けてみると、環境問題など諸々を取り上げたとても真面目なブログである.私のやさぐれたブログに繋げさせて頂くのはちょっと気が引けたのだが、真面目な仲間だってちょっとは居るのだというアピールもしたくて、相互リンクを張らせて貰うことにした.すべての水は海に注ぐというのが彼女のブログである.真水だって海に流れれば、海の水になる.私はいつも海に浸かっているから、ふわふわ浮かんでいれば、やがて皆に会えるかもしれない.

2010年5月28日金曜日

62 円の楽しみ

 下田と東京との行き来にはできるだけ有料道路を使わないようにする.もっとも、時間ばかりかかるのも困るので、ETC 割引利用の小田原厚木道路と東名高速は外せない.その他は我慢する.我慢して金額を浮かせたからと言って、その分を浪費しては元も子もない.でも、運転中の眠気対策になにがしかを口にすることは必須である.私はガムを好まない.すぐに味が無くなって、無味のものを咬むのに顎を動かす面倒に耐えられない.ミントキャンディーは愛用しているが、常用していると口腔内がなんだかヒリヒリしてきて、不快になる.有効で気に入っているのは、片道当たり 1 個のアイスである.特にチョコアイスが有効な気がする.でも、節約せねばならない.贅沢したい時は 126 円のジャイアントコーンを楽しむ.これは起承転結のある優れたアイスである.うまく包み紙を剥けるか、頂上のチョコレートをもれなく上手に齧り取ることができるか、その緊張感のあとに、平穏にアイスクリームの部分を楽しみ、やがてさくさくしたコーンの消費に向かって行く.運転中に結構長い時間、気を紛らわせることができる.しかし、通常の眠気であるなら、もっと安くても大丈夫である.62 円のアイスを最近愛用している.コンビニによっていろいろなバリエーションがあって、なかなかに選択の幅が広い.小田原(早川)のセブンイレブンには、62 円なのにずいぶん巨大なチョココーティングのアイスバーがある.これを齧りながら上りの小田原厚木道路に入ってゆくのは、なかなかに良い趣がある.

2010年5月25日火曜日

ハーモニカそうじ

 ハーモニカのマウスピースの部分は、使う度に無水アルコールをガーゼに浸ませて清拭する.でも、内部まではきれいにすることができない.ときどき分解して、使い古した歯ブラシでリードプレートを掃除するのだが、唾液の乾燥皮膜のようなものが積み重なった汚れはなかなか落ちない.リードが汚れると音が出にくくなる.付着物のほとんどは有機物だろうから、パイプ洗浄剤を使えにきれいになるかもしれないと思い、パイプユニッシュを試してみた.タッパーに水を入れ、パイプユニッシュを注ぎ、汚れて音が出にくくなったリードプレートを沈めてみた.すると 2 時間も経つうちにプレートが金色に光り始めた.3 時間ばかり経って引き揚げ、よく水洗いしてから乾燥させ、ハーモニカを組み立てなおして試し吹きしてみた.すると、出にくかった音がすんなり出るようになり、全体に腰が軽くなった感じだ.これは、手っ取り早くて良い掃除方法かもしれない.

2010年5月18日火曜日

水中老眼

 海底で、ノギスと物差しを使って海藻の大きさを測る研究作業がある.もう 10 年以上ほぼ毎月続けているのだが、冬の作業は辛い.動き回らないために体がしんしんと冷えて、手先と足先が次第にしびれてくる.1 年の間では 1-2 月あるいは 3 月までの短い時期のことではあるのだが、とにかく辛抱を要する.計測対象の海藻個体数が多いために、私ともうひとりのスタッフで組んで作業を行ってきた.しかし計測スタッフの加齢にともなって、辛抱ではどうにもならない困難が生じてきた.それは老眼の進行である.空気中であれば、ある程度距離を離せば文字が見える.水中では空気中との屈折率の違いで物の大きさは 1.3 倍に見えるから、それも助けになるはずである.ところが空気中と異なって、水中では濁りのきついことが多い.物差しやノギスの目盛からちょっと目を遠ざけると、時期によっては濁りのために文字が全く読めなくなる.私はまだそんなに老眼が進行していないが、わが計測パートナーは苦しみ始めている.メガネを使えばよさそうなものだが、水中でメガネを取り替えるのは厄介である.上下で近眼と老眼のレンズが分かれているダブルレンズの水中マスクを誂えてもらったようだが、近いところを見るのはかなり面倒らしい.本格的な人員交代に備えて、現在若手に作業ノウハウを教育中である.私も近い将来に迫りつつあるこの困難に、何らかの対応を準備しなければならない.

2010年5月17日月曜日

静岡海描はじまる

 4 月 26 日から静岡新聞での連載が始まった.毎週月曜に科学面に掲載される「静岡海描」というコラムで、水中写真家の阿部秀樹さんの素敵な写真とお洒落なエッセイに私がコメントを書き加える.「研究室から」というタイトルで、真面目に科学的にテーマとなる生物についての補足解説を行うのである.阿部さんの原稿を見ながらコメントを入れさせて頂き、その原稿を新聞社の担当の方に送ると、やがてゲラ(校正刷り)をメール添付で送って下さる.そのメールの件名が「静岡海描 # ゲラ」(# は連載の番号)と書いてあるのだが、送られてくる度にどうも「静岡海猫(しずおかうみねこ)」に見えて仕方がない.毎週見る度にドキッとするのだから、おかしなものである.そう言えば、沼津から天城越えで下田方面に向かう時に、どこだかの国道沿いの確か左手に「温浴の宿」と書いてあるところがある.通る度にこれを「混浴の宿(こんよくのやど)」と読んではドキッとする.いずれの錯覚も同じようなことで、私の頭のメモリー構造に起因する現象だろう.

2010年5月16日日曜日

巣づくり人間

 下田と筑波の間の往復で乗る電車には、いろいろな座席配置がみられる.伊豆急線でときどき遭遇するリゾート号や黒船電車では眺めの良い海側に向いて鈍角で開いたV字型にベンチ型シートが並ぶものもある.通勤電車的な横並びの席と対面で腰掛けるボックス席が共存する場合に、私は必ず横並び席に座る.膝頭の位置なんぞ気にしたり、対面の人の拡げる新聞の記事に気が散ったりしなくて済むからである.だいたい1人ぽっちで座るのに、グループが一緒に座れる場所を占拠するのは気が引ける.回転寿司屋にひとりで入ってカウンター席でなくテーブル席に座る勇気を持たない小心者である.しかしながら、乗り込んでくる乗客にはひとりでボックス席を占める方々が実に多い.なかに「巣づくり人間」とも呼ぶべき人々のいることに気付いた.どうも短時間でも周りの環境を自分の嗜好に合わせて改変しようとするようである.良し悪しの問題をおいて、とても興味深い.巣づくりでは、まず鞄や衣類を周りに置いて居住空間を確保し、靴を脱いで足を伸ばし、伸ばした足には膝かけや上着を掛ける.カーテンやブラインドをいじり、窓ぎわには飲みものや食べ物を並べる.それから何がしか食べ飲みしながら雑誌を読みふけったり、パソコン作業を始めたり、あるいは化粧をしたりする.なんだかそこの空間だけその人のもつ色合いに染まって見えるようになるから不思議である.対面型ボックス席に限らない.新幹線の座席でも、なんだか空間を自分のもつ色合いに変えようとする人、変えることの出来る人がいるように思う.海底生物の世界を思えば、海底の環境になんとか自分を馴染ませようとする生きものたちと、すみ場所の環境をなんだか力づくで好みのままに作り変えようとするものがいる.後者を生態学のはやり言葉で「生態系エンジニア」と呼んでいる.「巣づくり人間」は人間世界の生態系エンジニアなのだ.

2010年4月30日金曜日

200 ml の幸せ

 よほどの必要がない限り、ペットボトルや缶の飲料を買わない.コーヒーならまだしも、お茶などどう考えても割高である.水なんぞはなぜ日本で買う必要があるのだか分からない.子供の頃の東京の水道水はひどく塩素臭かった記憶があるが、それでも飲んで健康でいることができた.最近の東京で蛇口から出る水はずいぶんと美味しいと思う.わざわざ容器に入った水なんぞ買わなくても良いではないか.でも、出張に出ると道中でなにかしら飲みたくなる.私の場合は下田と筑波の間の往復がもっとも多く、片道は約 4 時間である.喉が渇いても経済を考えれば我慢すべきである.片道に 100 円投じて飲み物を買うと、年間 20 往復以上するわけなので、少なくとも 4,000 円は消えてゆく.だからといって、小学生がもって歩くような大きな水筒を書類鞄にくっつけて持ち歩く気にはなれない.私が飲みたいのはほんの一口(ひとくち)なのだ.そんなストレスを抱えていたら、今年に入ってスーパーの食器売り場のコーナーで 200 ml のステンレスボトルを見つけた.タイガーのサハラマグシリーズのいちばん小さなもので、1,800 円ばかりだったので即座に買い求めた.フタは取り外せるキャップ式で、広口型なので、飲み物を容器から直接飲める.小さなコップにフタをして持ち歩いているような感覚だ.外径が 6 cm 程度、長さが 13 cm ばかりで、書類鞄の本やら筆入れやらの隙間に押し込んでも鞄のかさが増えない.これに入れたての熱いコーヒーを満たして、出張の供としたら、とても快適である.飲みたい分だけ飲んでフタをする.それを 3-4 度も繰り返せば中身はなくなるのだが、私にはそれで十分なのだ.筑波との間はとっくに 9 往復以上したので、値段的にも十分に元を取った.女房にキルト生地で専用の袋を作ってもらい、まるで洋服を着込んだかのような感じで、最近ではすっかり私の鞄の重要な内部パーツに成りきっている.頼もしいお供ができて、私も幸せである.決して失くしたりはしないぞ.

2010年4月8日木曜日

飼わずにはいられない

 どうも動物を飼わずにはいられない気質のようである.よくよく考えてみるとこの 30 年間、たえず何かしら生きものを飼い続けてきた.研究の一部であったこともあるし、子供のためのペットとしてのこともある.途切れたことがない.魚、カニ、ヤドカリ、エビ、カエル、ワレカラ、タナイス、ウニ、ナマコなどなど.現在飼育中はイソギンチャク、イモリ、ドジョウ、カメ、ウミホタルである.飼っている生き物が何も無いと、なんだか落ち着かないのだと思う.彼らが餌を食べてくれる瞬間が例えようもなく嬉しいし、何年も長らえてくれると喜びはひとしおである.イソギンチャクは 7 年目、カメは 8 年目、イモリ&ドジョウとウミホタルは 2 年目である.動物飼育は私の癖のようなものなのだろう.

2010年4月4日日曜日

えらく冷たい海

 先月 24 日にカジメ計測のために海に潜った.場所はいつもの水深 10 m のサイトだ.3 月も下旬なのだからもう寒くはないだろうと、たいした心構えもせずにボートからドボンとバックロールでエントリーして、ガツンとやられた.冷たいショックで、こめかみがギリギリと締め付けられる.水温は 12 ℃ ちょっとしかなかった.今年は一度は 16 ℃ 程度までは上がったはずなのに、寒の戻りで海水温も逆戻りだろうか.1 時間の計測は、心の準備の足りなかった分だけ寒くて、辛かった.今週もまもなく潜水調査の予定がある.ちょっとは楽な潜水ができることを期待している.

2010年3月20日土曜日

ぽろりと落ちる

 電車の中でイヤホンをしている人たちがいる.耳から流れてくる情報に気をとられれば、他の感覚が鈍くなるのだろう.今月の筑波と下田の往復のなかで、電車の座席からの立ちぎわにバッグから何かを取り落とす若い女性を 2 度見かけた.ずいぶんと派手にぽろりと物を落とす.携帯電話だろうか、財布だろうか.落下した時にカタンと音がするのだが、本人は気づかない.イヤホンは音も振動も遠ざける.でも、いずれの時にも、たまたま近くにいた人が本人に声をかけて注意を促してくれた.おかげで、彼女たちは落とし物の逸失を回避できた.見ていただけの私は、ハッとしてホッとして、まんざらでもない世の中だとちょっとだけ思った.

2010年3月19日金曜日

磯バンビ

 月曜から始まった 4 泊 5 日の臨海実習が終わった.この実習では、磯の生き物やプランクトンを観察して描いた学生全員のスケッチを、取捨選択せずに編集して冊子にまとめる.編集作業は学生たちが自ら行う.学生たちはその過程で他の人のスケッチを見ることもできる.また、スケッチを切り貼りしてとりまとめてゆくプロセスは一種の系統分類学でもある.学ぶ事は楽しくなければならない.楽しく作業するために、表紙や全体のデザインは絵心のある学生たちに任せ、各ページのスケッチの隙間には落書きをすることも許す.完成した冊子はコピーして学生たちが帰る前に配付するのが恒例である.今回はスケッチのレベルが高かった.加えてとりまとめの手際が良かったせいもあって、ゆとりがあったためか、落書きの量も多かった.そんな落書きのなかに、私を『雌鹿』に例えているものがあった.『磯バンビ』だそうだ.磯採集の折りに、磯全体に散開した学生たちの間をぴょんぴょん訪ねて巡る私の姿を、そのように捉えたらしい.でも、なぜカモシカでもインパラでもなくて雌鹿なのだろう.体型的にはカモシカの方が相応しそうだ.この命名の謎について、ちょっと考えて気が付いた.私は動物以外にカジメの研究も行っている.学生たちもそのことを知っている.きっと、カジメを反対から読んだところから、着想したに違いない.磯バンビはそこからの連想であろう.

2010年3月13日土曜日

東京駅ホームを 300 m 走る

 筑波大学発の東京駅行き高速バスは楽である.上り専用3枚綴り回数券の安さも嬉しい.ところが、良いことばかりではない.到着する場所が東京駅日本橋口であるからだ.この入り口から新幹線ホームに出ると、そこは下り新幹線の最後尾である.熱海に到着した時にホームの階段が近くて降りやすいのは 5 号車の 4 号車寄りの出口なのだ.16 号車から 5 号車までの 12 両という長さは、確か 1 両の長さが 25 m であったことから計算すると 300 m である.末尾の乗車口で乗ってから、中を移動すればよさそうなものだが、途中には通り抜け禁止のグリーン車がはさまっている.ホームを行き交う大勢の人々をぬって 5 号車前端をめざして疾走する.インゴールに駆け込むラグビー選手のようなものだが、違っているのは抱えているのがボールではなくて、本や資料やノート PC の入った重い鞄であることだ.発車時間の迫っている時には、ことに悲惨である.

2010年3月1日月曜日

サザンが D

 ちょっと前に『とめはねっ!』という習字のドラマを見て、『希望の轍』という曲が意識のフィールドに浮かび上がってきた.オレンジ色のハート形太陽がパッケージの『バラッド 3 』という CD を棚の奥から探してきて、埃をはたいて聞き出したら、お久しぶりの他の曲も心に覆いかぶさってきた.『真夏の果実』と『逢いたくなった時に君はここにいない』が『希望の轍』と一緒に頭の中で鳴り止まなくなった.こんな時は『ハーモニカラオケ』に限る.サザンの歌は私にとってはキーが高すぎる.真似して歌っても途中で声が裏返り、やがてかすれて出なくなる.ハーモニカラオケでは、そんな惨めなことにはならない.CD の演奏に合わせてシャドウイングするようにハーモニカで歌うのである.前奏だって間奏だって一緒に歌ってしまうのだ.もちろん完全にフォローするのは難しいけれど、それを試みるのは楽しい.D のハーモニカで『真夏の』も『逢いたく』もほぼ演れる.『希望の』は厄介なところがあるけれど、むりやりオーバーブロウするか無かったことにしてやり過ごす.ハーモニカの『声』は高いパートでもかすれない.だからとても気持ちがよい.

2010年2月28日日曜日

ライブで手の置きどころ

 今年も下田でブルースライブが行われた.2007 年に始まったのではないだろうか.下田市のレコード屋の主人がプロのバンド仲間を集めて行う 1 年に 1 回のお楽しみだ.もちろんボーカルもギターもベースもキーボードもドラムもみんな素晴らしい.演奏曲目は昨年とかなり似ていたけれど、バンド編成の違いを楽しむこともできた.今年は一段と音の配置というかバランスが良かったような気がする.なんと言っても私の目当てはハーモニカの八木さんである. http://sound.jp/yagi-nobuo/ ハーモニカがフロントに出てライブで演奏してくれる機会というのは都会でもそうそうは無い.しかも観客数を少なめに抑えた企画なので、かなり近くで演奏の様子をみることができる.今回もひとりで出かけたのだが、着席して開演を待つうちに、なんだかふと両手の置き所が気になり始めた.膝に置くのも妙だし、祈るように両手を握るのも変だ.だからといって、腕組みするのもおかしなものである.いままで意識したこともなかったことなので、気になり始めたら奇妙に両手に違和感を感じて、いろいろと配置を工夫してみた.でも、阿呆なポイントを意識してしまうと、どうやっても不自然な心持ちになる.悩ましい.そのうちバンドの演奏が盛り上がって曲に心が吸い寄せられるうちに、自分の手がどこにあるやら意識すらしなくなった.アンコールの時分になって、そのことに気がついた.おかげで、八木さんの一息入魂の演奏を堪能することができた.

2010年2月20日土曜日

半世紀経って気がついた

 変だ変だと思いながらずっと過ごしてきて、ひょんな拍子に思わぬ事実が明らかになることがある.少なからず衝撃的な、そんな体験をした.たとえばエディ・バウアーのような海外の衣類を購入するとき、セーターにしてもシャツにしても、みな袖が長いので、西洋人というものは腕が長いものだと信じていた.ところが、よく考えてみると国産の衣料を百貨店で買うような時も袖が長めに思えることが多い.それについては、最近の若者は体型が細長く、腕もついでに長めなのだろうとなんとなく納得していた.つい先日、女房と動物番組に出てきた猿かなにかの話をしている時に、人の腕の長さの話題が出た.私が西洋人や最近の若者についての意見を前記のごとくに述べたところ、彼女はそれはおかしいと異議を申し立てた.そんなはずはないと言う.そこで、女房と腕の長さ比べをしてみることになった.私の方が身長は 5 センチばかり高いのだから、当然私の腕の方が長いはずである.ところが、驚くべきことに私の方が短かった.私の得た結論は『うちの女房は腕がとても長い』だったのだが、女房の方は納得しない.そして、子供達や他の成人サンプルにもあたってみた結果、自分はごくふつうであることを証明してみせた.驚いたのは私の方である.ほぼ半世紀も生きてきて、ついに自分の腕が平均よりもかなり短いことに気づくことになったのである.そういえば、思い当たることはある.思い出せないほど昔から、セーターの袖は必ず外側に折り返して着ていた.ジャケットの袖口からワイシャツの袖の白い部分が他の人のように覗いていないことが多かった.空手の突きがなかなか相手に届かないような気がしていた.明らかになった新事実をふまえて、これからは積極的な対策を講じてみたいと思う.鉄棒にぶら下がるわけではない.袖が短めの衣類というものを探してみる.おそらくかなりの数のご同類が地球の上には居るはずである.そう信じたい.

2010年2月19日金曜日

ようやく足を洗う

 ようやく足を洗うことができた.左足の小指を骨折して以来、巻いてあるバンデージテープがはがれないようにするために、左足先を濡らすことを禁じられていた.したがって、風呂では左足のつま先から踵にかけてビニール袋で包んだうえで、膝から下を湯船に水没させないように入浴していた.先日の定期検診で回復が順調なことが確認されたおかげで、ついに禁が解けたのである.3 週間以上洗わなかったわけで、当初は左足先端のみ黒ずんでゆくものだろうと思っていた.しかし、久々に洗う前にバンデージを解いて、左右の足先の色を比べてみたところ、むしろ洗わなかった方が白っぽく見えた.担当医には「夏でなくて良かったですね.夏に汗ばむとものすごく痒いのですよ」と言われた.夏だったら足先は何色になっていたのだろうか.何にしても、洗われた左足はすこぶる気持ち良く、まともな姿勢で風呂に入れる喜びに満たされた.

2010年2月2日火曜日

ありがたいエスカレーター

 ふだん電車の乗り換え時には、なるべくエスカレーターを使わないように心掛けている.地下深い駅から続く長大な登り階段に挑むようなことはしないけれど、下りやちょっとした上りは、エスカレーターがあっても階段を行く.なんとなくそんな習慣ができてしまっている.エスカレーターというのはかなり短い階段に付いていることもあって、しかもそれが下りであったりする.こんなものは要らないのではないかと思うことがしばしばあった.しかし、今回足指の骨折をして、片足を引きずりながら歩く身になってみると、エスカレーターのありがたさが身に沁みるようになった.ふだんは何でもなく早足で通り抜ける道のりが、ずいぶんと遥かなものに感じられて、そんな時に階段の登り降りがないことは嬉しかった.短い下り階段のエスカレーターも大変にありがたかった.足の自由が利かないと、下りがなんだか恐ろしいことも実感した.何でもない当たり前のことなのだけれども、体感できたことは、ささやかな骨折のささやかな賜物である.

2010年2月1日月曜日

なんだかブルームーン

 今年の 1 月と 3 月は月初めと月末に 2 回の満月がある.28 日の月周期のアタマとシッポがすっぽりと 1 ヶ月の内に収まるというのは、そう頻繁に起こることではない.この満月の 2 回目はなんでも『ブルー・ムーン』と呼ばれるらしく、幸運の予兆だそうだ.しかも、今年は元旦が満月だったのでことさらに珍しいらしい.1 月にはよほど良いことが起こるかと思っていたのだが、 正月に娘が肩を若木骨折し、月末には私が足の小指を骨折した.おかげで、家族がブルーになってしまった.でも、2 人とも大げさに骨折せずに、ささやかな骨折で済んだのはお月様のおかげかもしれない.きっと 3 月には、良いことが待っているはずである.

2010年1月27日水曜日

小さな骨折り

 目を覚ましてトイレに向かって廊下を歩き出したとたん、左足の小指に激痛が走った.予期せぬ場所に置いてあった木箱の縁に思い切り打ちつけた.足の小指をぶつけるとかなり痛むのはよくあることなので、いちど寝床に戻ってじっとして、痛みのやわらぐのを待った.あまり改善しなかったが朝から出張の予定だったので、往路の電車の中で良くなるだろうと楽観した.そして、むりやり革靴を履いて筑波に向かった.しかし、痛みは去らず、だんだんと歩くのが辛くなってきた.乗り換えの通路や階段が恨めしい.駅のエスカレーターの存在が何ともいえずに嬉しく、頼もしかった.なんとかその日のセミナー発表を終えて、最短距離の移動で夕食を手短かに済ませ、いつもは歩くところをバスに乗って宿泊所に向かった.むずむずと痛い一夜を過ごし、翌朝1限の授業やら学生指導のあと、総菜パンをかじってサッサと昼食を終えるや、大学の保健管理センターに転がり込んだ.そして、靴下を脱いで担当医に患部を見せた.事故時は明け方の暗闇の中であったし、打撲後にいい加減に絆創膏を巻いていたため、明るいところで指の様子を見たのはそれが初めてだった.ぎょっとした.本来上を向いているはずの爪が 90 度外側を向いている.薬指にそっぽを向いた感じだ.骨がきれいに折れたうえ、指先がくるっと廻っていた.麻酔注射ののち、手練の整形外科医師の技で上手に指先を回してもらった.うまい具合に指先が元の位置に戻ったことをX線で確認した後に、テーピング固定された.しばらくは安静である.小さな骨折りだが、歩くのにずいぶんと障りになった.それで、歩くのに小指がけっこう役立っていることを改めて認識した.しばらくはケンケンで飛び跳ねたり、横にカニ歩きをして過ごすことになる.もちろんフィンで冬の海を泳ぎ回ることも、当分は御法度である.

2010年1月25日月曜日

朝陽に舞う

 寝床のある部屋の窓は南東に面していて、朝の訪れが分かりやすい.築 30 年をはるかに超える職員宿舎の冬の早朝はとても寒い.掛け布団から抜け出すタイミングを見つけ出せずに天井の板目を数えたりしていたら、差し込んできたまぶしい光の中で小さな羽毛が舞っていた.真っ白で、大きさは 5 ミリに満たない.上昇したり急降下したりしながら宙を舞う姿が美しい.重力なんぞを頼りにしていない感じが頼もしい.それにしても、この羽毛はどこから出て来たのだろう.羽毛布団の中身なのだろうが、布団に穴が開いているわけではない.おそらく布団の布繊維の目合いを何か不思議なタイミングですり抜けて、出て来たのだろう.そんなことを考えたり、寝床からいろいろな強さで息を吹き上げて羽毛のダンスの手伝いをしているうちに、すっきりと目が覚めた.そうしたら、急になんだかばかばかしくなって、布団から抜け出した.

2010年1月24日日曜日

エレベーターのボタン

 日常のごく小さなことがらの中に、フッと敗北感があったり、ときにはささやかな優越感があったりする.筑波にある私たちセンター教員のオフィスは 8 階建て建物の 7 階にある.たいていは 1 階からエレベータに乗ってオフィスに向かう.1 階から同乗する人も途中階から加入する人も、目標階はたいてい 6 階以下である.なぜならほとんどの研究室や実験室はそれらのフロアにあるからだ.それゆえ、私の押すボタンの階数がたいてい最大値となる.だからなんだか嬉しくなるのである.歩いても簡単に登れるような 1-2 階の上昇でなく、誰が考えてもエレベーター利用が正当であろうと考える 6 階という階数差なのだ.自分がもっとも正当な利用者であるという気持ちから牢名主のような気分に一瞬なるのかもしれない.奇妙かつささやかなる優越感である.それゆえ、まれに 7-8 階へのボタンを押す人に出くわすと、なんだかすっと力が抜ける.淡い敗北感のようなものが生まれる.なんだか人間の小ささを象徴するような心の動きなのだけれど、本当のことだから仕方がない.

2010年1月13日水曜日

6ケタ数字

 フィールドデータの記録ノートや採集袋の中ラベルなどに、年月日を示す 6 ケタの数字を記入する習慣がある.2010 年 1 月 13 日は 100113 である.8 ケタにしないのは、私の残す記録としては他のものと紛れる可能性がないからだ.私の関与するサンプルのもっとも古いものでも、頭の数字は 8 で始まる.私は 2080 年には絶対にこの世にいないので、なにかのはずみで私の採集瓶やノートの端切れが捨てられずに後世に残った場合にも、100 年勘違いされるはずはない.私が下田に来たころは頭の数字は 9 だったが、それが今年は 1 になった.頭の数字が 0 の時代はもう生涯訪れることがない.いまは 0 が頭の 10 年間の年月がなんだかとても懐かしい.近頃、ようやく最初の数字を 1 と書き始めることに慣れてきた.

2010年1月4日月曜日

塩餡のこと

 年末に女房の実家から大量の餅が送られてきた.段ボールの底が破けてしまいそうな重量だ.毎年年末になると杵で搗いたばかりのものを送ってくれる.なかなか里帰りできない我が家族への心尽くしに感謝至極だ.送られてくる餅は丸餅ばかりではない.巨大な板餅もある.これは切り分けて小さな角餅にして使う.餡の入った大きな饅頭状の餅も常連である.この饅頭餅の中の餡が最初は不思議だった.しょっぱいのである.餡というのは甘いものだと思っていたから、最初に食べた時には間違いではないかと思って驚いた.美味いものだとはとても思えなかった.ところが時を経て何度も食べるうち、慣れてくると美味しさが分かり始めた.そのままでもじんわりと味を楽しめる.酒の肴にもなる.ほんの少し醤油をつけながら食べたり、海苔を巻いて食べてみても良い.バラバラに解剖して湯に沈めて、醤油をたらして食べてみるのも面白い.いまではすっかり『塩餡』のファンである.

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