2008年9月30日火曜日

体重を毎日記録

 東海道新幹線こだまの車内には、車内ドアの両脇にひとつずつ広告が掲示されている.それらは都内の通勤電車にかかっている吊り広告とはちょっと毛色が変わっていて、繊維や金属などの製造メーカーの広告やお土産菓子の広告などが多い.どうも出張や通勤のビジネスマンを意識したものらしい.ここしばらく見かけるものに『体重を毎日記録』というのがある.大流行りのゲーム機に感圧とバランスのセンサー内蔵の台をオプションとして売って、健康づくりにいそしむ人々をゲームの世界に引き込もうとしているのだろう.でも、たかだか体重を量るのに電気のスイッチをあちこち入れなければならないなんて、なんだか可笑しいし、面倒くさそうだ.実のところ、私はこの10年間、自宅にいるときはほぼ毎日体重の記録を朝晩行っている.道具立ては簡単だ.古いバネ式の体重計と10年前の1冊のダイアリー、それにボールペンが1本だ.いずれも風呂場と洗面場の近くに置いてある.朝起きてトイレに行って、服を着替える前に計量、夜風呂に入る前、服を脱いだら計量だ.朝は白丸、夜は黒丸をダイアリーに書き込んで、線でつないでグラフをつくる.同じ罫線の中にいろいろな年のラインが色や線種を変えて並んでいる.計量は既に癖になっていて、体が自然にそのように動く.体重を記録していると,滅多な不摂生はできないし、不摂生しても復帰の仕方が分かる.私の場合、夜あまり飲食しなければ、体重は寝ている間に0.5-1.0 kg くらい減る.1日を過ごすと夜には体重は同じくらい増えてもとに戻るが、体をよく動かすとてきめんに体重は減る.また、暴飲暴食すると体重は最大 2.5 kg くらいまで増加し、そうなると普通の食事に戻しても、もとの体重に戻るのにほぼ1週間を要する.この 10 年間で体重は最大 10 kg 増加したが、ここ数年の節制で、最大体重マイナス5 kg以上に戻りつつある.季節的には,夏から秋にもっとも軽くなり冬にかけて増加するパターンは毎年繰り返される.そのようなわけで、体重の毎日記録から得られる情報はいろいろあって、健康維持に役立つことは疑いない.でもそのために電気機器に頼るのは、いかがなものであろうか.

2008年9月29日月曜日

ハーモニカと腹式呼吸

 ハーモニカを吹き始めた頃には、腹式呼吸の有り難みはなかなか分からなかった.腹式呼吸が大事だということは先生からずいぶんと言われたし、どのテキストにも書いてある.腹式呼吸を体感しながらハーモニカを吹くもっとも簡単な方法は、仰向けに寝て吹くことだろう.腹式呼吸の練習としては、ハッと暖かい息を吐きながら口の前の紙を動かす方法や、立ったまま前屈して息をする方法などもある.でも、私の場合は、吹き始めの頃にはうまく音を出すだけで精一杯で、頭で分かっちゃいてもなかなか腹式呼吸にならなかった.大きな袋にストローを付けて、袋をおさえながらストローから空気を出す感じが腹式呼吸だろう.優しく安定した息を出すことができるわけである.腹式呼吸でなく、力まかせにブーブー吹くと、どうも厄介らしい.リードに気まぐれな嵐が襲いかかるようなもので、激しい風雨にハーモニカは苦しむのだ.最初の頃にやたらにリードが駄目になったのはそのせいだろうと、今になって思う.なんでもそうだが、ある程度の修練を積まないと、力の抜き方というのは分からないものなのだ.低音域や高音域の音の出しにくい部分がふだんより出にくかったり、オーバーブローできなかったり、なんだか滑らかに音の出ない時は、腹式呼吸をど忘れしているときだ.

2008年9月28日日曜日

ノルマンタナイスで生物検定を

 ノルマンタナイスで生物検定をする話である.例えば船底に塗るための新しい防汚塗料を開発したとき、その生物に対する効果を調べることは案外に難しい.ちょっと考えると、塗料を塗った板を海水に入れて、その海水の中で生物の生死判定を行えばよさそうである.ところが海洋生物で、こういった目的に適った材料がなかなかない.採集しにくくてもダメ、飼育しにくくてもダメである.また小さすぎたら見えないし、大きすぎると扱いづらいうえに数を揃えられないだろうし、それにコストもかかりすぎる.また、生死を判別しにくい生物も厄介である.私が塗料会社との足掛け10年の共同研究の中で思いついたのが、ノルマンタナイスを使うことだった.ノルマンタナイスはふつう3-4 mm くらいの体長なので、慣れないと肉眼での生死判別は難しい.だが、巣を造る性質を使うと、巣の大きさは肉眼でハッキリ分かるくらいなので、都合が良い.大腸菌の数を寒天培地での培養後のコロニー数から知るのと、ちょっと似ている.シャーレの中に塗料溶出液や塗装板片を入れて、巣材と海水を入れて、30 分ばかり待つ.そして、さっと巣材を洗い流せば、巣がシャーレ面にハッキリ残る.タナイスが元気であれば、たくさんの巣が残る.これまでの試験から、この方法が使えそうなことが分かってきた.塗料性能試験ばかりでなく、海洋における微量物質に対する試験などにも使えるかもしれない.飼育が容易なので、累代飼育等で感受性の異なるいろいろな系統を創ることもできるかもしれない.夢は膨らむのだが、実験時間や人手がなかなか確保できないのが、残念である.

2008年9月27日土曜日

ハトの針地獄

 伊東にはハトヤがあるが、熱海にはハトの地獄がある.下田から東京に向かう時に、乗り継ぎが悪いと熱海駅で30分以上待つことになる.そうした時に読み物の持ち合わせがなかったり、持っていても疲れていて読む気がしなかったりすると、吹きさらしのホームで時間を過ごすことになる.そんな時は、周りにいる人の様子を眺めたり、通過列車の観察をしたりするのにもすぐに飽きてしまう.あるとき、ふとホームの上方を見上げると、傾斜した屋根の下のところに、長くて細い針がホームの端から端までびっしりと植え付けられていることに気付いた.始めは何のためだか分からなかったのだが、人から聞いた話によると、ハト除けらしい.新幹線の駅舎の屋根下は、鳩にとっては魅力的なねぐらなのだろう.かつては糞害がものすごかったという.最近ハトもハトの糞もホーム周辺で見かけないところをみると、針地獄は効果てきめんのようだ.大学時代に東京でドバトの営巣場所探しを、調査のアルバイトでやったことがある.その時聞いた話では、ドバトはガード下や歩道橋下など、人の生活圏のごく近くに、あえて営巣するらしい.エサの確保に加え、カラスなどからの防御のためでもあると聞いたような気がする.熱海駅の針地獄を逃れた鳩たちは、どこに営巣するようになったのだろう.少々気になるところである.

2008年9月26日金曜日

つくばエクスプレス TX

 筑波から東京駅に向うのに電車で行くかバスで行くか、つくばエクスプレスができてから選択が可能になった.時刻の正確さを要するときは迷いなく電車であるが、高速バスが値下げ運転を始めて、そのうえ筑波大発の便が運行を始めるに至って、バス利用の回数が再び増えて来た.高速バスは東京に向う上り便の運賃が安いので、筑波から急いで帰る時には電車で、地下駅の上り下りをパソコンの入った重いカバンを抱えて我慢する.大学での講義や会議に疲れて、しかも帰宅を急ぐ必要のない時にはバスをとる.今日はバスにした.高速バスの窓から外を見ていると、遠く見渡せる薄闇の中に延びる高架の向うから、長く連なる光の塊が飛ぶように近付いて来た.つくばエスプレスだ.筑波周辺は開けてきたとは言っても、沿線周辺の駅から遠い場所では、夜になれば闇が濃い.その中を飛んできた光の列車は、そういえば『となりのトトロ』のなかの『ねこバス』に似ていた.でも、私にはつくばエスプレスのロゴマーク TX が、どうしてもカタカナのイヌに見えて仕方がない.そうしてみるとあれは『ねこバス』ではなくて、『イヌ列車』であったか.

2008年9月25日木曜日

イセエビ漁の朝

 昨日の午前中のうちに、水深 10 m のカジメ基地ポイントに潜って計測作業を行う予定だったが、まだうねりがあり、海が濁っていて潜れなかった.今日は濁りが去るのではないかと思い、朝から海の様子をうかがっていた.しかし、イセエビ漁から戻って来た漁師からの、潮がひどく暗かったという情報によって、再度の潜水延期を決めた.月曜に再挑戦することになる.イセエビ漁が解禁になって、朝のうちは研究棟玄関の前が、近在の漁師たちの作業場となる.海から帰って来た漁師たちは、獲物の仕分けと計量に専心する.ここ鍋田のイセエビ漁師の数は10人にも満たない.平均年齢はかなり高くなっているが、みな朝からエネルギーに満ちている.やがて形やサイズ別に分けられたイセエビは、漁協のトラックに積まれて、センターの門を出てゆく.朝から活気があって、秋のこの光景が私はとても好きだ.

2008年9月24日水曜日

冷蔵庫のイソギンチャク

 2ドア冷蔵庫の冷蔵室の片隅に海水の入った500 ml のフタ付きガラス容器があって、その中に1匹のイソギンチャクが生きている.フタには『2003年6月17日北海道エリモにて採集』と黒マジックで書いてある.この日に採集されてから、冷蔵庫の中で既に 5年以上を過ごしているのだ.このイソギンチャクを採集したのは、我々の研究室の卒業生で、今は大洗水族館でイルカトレーナーをやっている E さんだ.北海道襟裳岬での藻場調査の折りに、藻場付近の磯からカニ類や貝類と共に採集した.それを他の藻場サンプルと共にクール宅急便で下田に送り、研究室で同定や計数を行おうとした.ガラス容器に一緒に入って送られて来た他の生物は、取り出されて標本としての固定処理などがなされた.しかし、イソギンチャクは同定が難しいこともあって最初から検討の対象となっていなかった.瓶底に張り付いて取り出しにくかったこともあって、そのまま放置され、やがて忘れられてしまった.概ね1ヶ月くらいたった頃、他の用事で冷蔵庫の中をさらっている時に、イソギンチャクの瓶は再発見された.中を覗くと触手を開いて元気でいる.びっくりしたが、北海道の水温の中で生きてきたから冷蔵庫の水温でも大丈夫なのだろう、と私も学生も納得し、なんだか面白いので、海水を入れ換えてまたフタをして、冷蔵庫に戻しておいた.小さいために見逃されて中に取り残されていた数匹のタマキビの仲間が、2-3ヶ月は一緒に生きていたので、これらが餌になっていたのかもしれない.再び放置されて数ヶ月が経ち、再発見されたときはイソギンチャクは元気で、小さな巻貝たちは空殻になっていた.そして次の数ヶ月後の発見のとき、イソギンチャクは触手を縮めてまんじゅうのようになり、死んでしまったかに見えた.そこで海水を換えて、今度は冷凍アサリのほんの小さなかけらを入れて、瓶をよく振って、戻しておいた.さすがに気になって、翌日見てみると、すっかり元気になって触手を伸ばしていた.こんなぐあいに、忘れかけた頃に海水を交換して、アサリの小片や無脊椎動物用の液体餌を滴下したりして、だらだらと5年以上が経過してしまったわけである.おおきさが大きくなるわけでもなく、ときどき触手を拡げたり、ときにはギュッと縮こまったりしながら、冷蔵庫の暗闇の中で過ごしているのだ.なんだか、成長とか老化とかそういうものを超越した存在に見えてくることがある.一生懸命に世話をしている気は毛頭ない.でもさすがに、いつまで生きるのか気になってきた.

2008年9月23日火曜日

オシロイバナの鼻鉄砲

 昼食後すぐのことである.仕事に出かけるため玄関に出ようとしたところ、庭で秋の虫を追い回して遊んでいた4歳の次男が、泣きながら駆け込んできた.切羽詰まった様子で、痛い痛いと鼻をおさえて叫ぶ.どうしたのか聞いても、全く要領を得ない.転んでぶつけたのかと聞くと、首を振る.兄さんにぶたれたのかと聞くと、これも首を振る.よく見ると、鼻の左側のつけ根をおさえて騒いでいる.虫でも入ったのかと思い、鼻に何か入ったのかと聞いたら、うなずいた.泣き声でとぎれとぎれに語るには、突然タネが飛び込んだという.半信半疑で鼻の穴を覗いてみたが、何も見えない.小児科に連れて行くべきだと思ったが、念のため、右の鼻の穴をふさいで思い切り左の鼻の穴から息を出してみろと言ってみた.泣き顔のままで口から息を吸い込んだ彼が、鼻からブッと息を押し出したとたん、何か黒い塊が飛び出した.それは真っ直ぐに30 cm ばかり飛んで、玄関のすのこの隙間にはまり込んだ.指を突っ込んで拾い上げてみると、それはオシロイバナの種子だった.こんなに大きな種が自然に鼻に入るはずはないと思い、自分で入れてみたのかと聞いたが、ぜったいに違うと言う.よく聞くと、オシロイバナや雑草の生い茂る草むらに頭を突っ込んで、バッタを追い回していたらしい.いきなり片方の鼻の穴がふさがったという.オシロイバナの株の上に顔を近づけて思い切り息を吸い込んだ拍子に、近くにあった種がスポンと鼻の穴に入ってしまったらしい.椿事であった.心配していた私と女房は、大笑いした.泣き顔だった小僧は、ケロッとした顔でまた虫を追いかけに出かけた.

2008年9月22日月曜日

ヒメワレカラはどこにいる?


 写真は『ハネガヤにつかまるヒメワレカラの雌である.おそらく普通の人には、ハネガヤもヒメワレカラもなじみがないし、何をもって雌と判じているのかも分からないだろう.まず『ハネガヤ』というのは海藻等の上にくっついているヒドロ虫類の一種である.ヒドロ虫類というのはクラゲやイソギンチャクに近い動物で、ポリプがあって、そこには触手があって、その触手には刺胞という攻撃用の細胞が並んでいる.そこからミクロな針が飛び出してきて、チクンとやられると痛いわけである.ハネガヤはどれかというと、この写真では黒い下のところ(海藻の表面)から木のように林立している物のことで、その枝の上の小さく丸く膨らんでいるところがポリプのあるところだ.ハネガヤは丈が 5 mm に満たぬ大きさで、ほとんど透明だしあまりに小さくて繊細なために、付着している海藻を水から上げると、海藻の表面に貼り付いて、ほとんど見えなくなってしまう.ハネガヤを探すなら、潜って海の中で海藻の表面をよく観察するとよい.『ヒメワレカラはワレカラの仲間だけれど、海藻にすむナナフシっぽい形の種とはずいぶんと違った雰囲気である.水泳に例えると、ふつうのワレカラの動きはクロールっぽいけれど、こいつの雰囲気はバタフライである.体全体が左右に開いていて、3対の脚がハネガヤの枝をしっかりとつかんでいる.上半身は大きなハサミ(咬脚)をいい感じに構えている.頭の上に伸ばした触角はふつうのワレカラよりも毛が少なめだ.からだの真ん中あたりの丸いところが保育嚢(育房)で、ここに卵を抱く.これがあるから雌と分かったわけだ.雄にはこの部分がない.よく見ると育房からは、左右2本ずつ合計4本の棒のようなものが放射状に突き出している.これらは鰓である.ヒメワレカラの背丈はハネガヤとどっこいどっこいでとても小さいのだが、とにかく動きがユーモラスだ.ハネガヤの枝から枝へと移動してゆく様子は、サルが木々の間を渡るようだ.実物をご覧になりたい方は、まず海の中でハネガヤを探すことである.眼のモードを切り替えて、探す対象の大きさをグッと下げてハネガヤの茂みを探してみれば、見つけられるかもしれない.ヒメワレカラ探しに貴重なエアーを使って潜るのも、たまには良いかもしれない.
 

2008年9月21日日曜日

ノルマンタナイスの雄と雌

 ノルマンタナイスの雄(上の写真)とノルマンタナイスの雌(下の写真)である.大きさを示すスケールが入っていないが、オスが体長約 3 mm、雌は体長約 4 mm だ.一見して分かる通り、雄と雌とではかなり形が違っている.雄の体は全体にガッチリたくましい感じで、はさみ(鋏脚)の大きさも雌よりずいぶんと大きい.雌の体が少々ほっそりとしていてはさみが小さい.
 雌の体の両側にぶら下がってみえる袋(育房)に入
っているのは卵である.この袋の中で受精卵の発生が進み、袋から出て親を離れる時にはほぼ親と同じ基本型をもち、言ってみれば親のミニチュアサイズとなっている.プランクトンとして漂うような幼生期はもたない.ちっぽけな幼体も自前の巣を作って、脱皮を繰り返して成長する.
 この種類の性決定がどのよ
うに起こっているのかは、どうもまだよく分からない.野外では雌の方が多く見つかるのだが、実験室で飼ってみると飼育条件によっては雄ばかり生じてくる.どうも雄になるか雌になるかは、始めからは決まっていないようだ.環境か個体間の何らかの関係などのきっかけによって、性が決まるのかもしれない.成体になった雌は、自分の造った巣の中にいることが多く、雄は這い歩いて雌の巣を訪ねて廻るようだ.その途中で雄同士が出会うと闘いが生じるらしい.いずれにしても、繁殖生態についての詳しいことは、まだ分かっていないことばかりである.
  
 

2008年9月20日土曜日

台風13号が通過

 昨夜遅く台風13号が下田のすぐ側を通過していった.今回は雨台風だった.今年は夏の始めから全く台風の接近がなく、今回が初めてだった.台風が接近すると船の陸揚げ作業があり、台風が去ると近隣の漁師ともども総出で浜掃除を行い、構内のゴミを片付ける.雨漏りやガラスの割れ被害などのあるときはもっと厄介である.それでも、ある程度の台風来襲は海の生態系の正常な維持には、必要なはずである.海底は撹拌され、生物の運搬が起こり、海藻などでは大型個体が間引かれて、群落のリフレッシュが進む.全く台風の来なかった年の海底はどんよりと澱んだような様態になる.春の嵐と秋の嵐は、少なくとも日本沿岸の海の健康維持には必須の季節イベントだと私は考えている.それにしても、秋になってから最初の接近があったり、数年前のように10月になってから巨大台風が襲来したりする昨今には、やはり異常を感じる.できるなら、しかるべき時期にしかるべき個数の、ほどほどの大きさの台風を訪れさせて頂きたいものである.そんなふうにお願いすべき神様はどちらにおられるのだろうか?

2008年9月19日金曜日

合同臨海実習

 合同臨海実習が実施された.2つの異なる大学が同じ期間に同じ部屋を使って実習を行うのは、私の知る限り、下田臨海実験センターで初めてのことだ.年間約20回実施される臨海実習のうち、公開臨海実習と公開講座を除いて、通常の臨海実習は一つの大学のみで行われる.かつては一つの臨海実習の参加者数はどこも20名を超え、40名が臨海実習の受け入れ上限である我々のセンターでは、一時期に1大学実施しか不可能であったという事情もある.しかし、ここ数年臨海実習参加者はどこの大学でも減少傾向にあるようだ.今回のO大学とY大学は参加者数がいずれも少なめで実施希望時期も重なっていたことから合同開催することになった.Y大学の先生のひとりが全体を統括して、ほかの先生方が協力し合って指導や生活面のサポートを行なった.学生については一方は2回生、他方は3回生であったが、2大学混成班をあえて作った.すべての日程が終わって解散した今振り返ってみると、とても良い実習であったように思う.学生たちはすぐに馴染んで行動するようになり、懇親会の時には赤外線によるメアド交換の嵐であった.先生方は化学専攻、陸生昆虫専攻、海藻専攻など専門はいろいろで、話をしていて、相互に良い刺激があったようだ.最近、学生も教員も大学は縦割りの世界の中にはまり込みがちで、学会も専門に細分化されているために、異分野の方々と話をする機会は乏しくなっているのではないかと思う.合同臨海実習は教員にとっても学生にとっても得るところ大だと思う.今後、こちらからも広く合同実施を提案して、大学からの希望があれば、もっと実施してゆくとよいと思った。
 臨海実験センターは異分野の方々が行き交う交差点のようなものである.思わぬ出会いがあり、思わぬ発想の誕生する場であってほしい.
18世紀のイギリスで催されていたという『月光会』の話を外山滋比古氏の本で読んだ.多岐にわたる分野の知識人たちが定期的に集う会から、のちの科学の大きな発展につながる発見や発明がいくつも生じたという.そんな知性の化学反応が、臨海実験センターでもどんどん生じてよいはずだ.個人や小グループで臨海実験所を訪れる方々にも、もっと相互に交流をもってほしいし、臨海実習の合同実施もそんなきっかけにつながると期待したい.

2008年9月18日木曜日

イセエビと魚

 実験センターの深さ1mに満たない屋外水槽にイセエビと魚がいる.漁師が混獲したもの,釣り上げたもの,実習で捕獲した後に放したものなど来歴はさまざまだ.夜、ここに実習で解剖に供した小魚やウミホタル採集に使った豚レバーを上から放り込む.とたんに物陰から魚が飛び出してきて、餌が水底に達するまでのほんの短い間にくわえていってしまう.魚が鉢合わせした時には、互いに目にも止まらぬ速さで餌を奪い合う.魚はカンパチ、ハマチ、マダイ、コショウダイ、イスズミ、メジナなどだ.水底にいるイセエビが獲物にありつけるのは、イセエビの直近にうまく餌を落としてやった時と、魚同士が争って餌を取りこぼしてしまったときの漁父の利だ.イセエビは天然の海底ではどうやって魚をかわしながら、餌を得ているのだろうかと、少々心配になってしまった.

2008年9月17日水曜日

ヤマカガシの上半身

 昼休みに、背後に崖の迫った草むらの中をヘビがゆくのを見かけた.草のしげみが右から左に向って溝状に揺れて、赤っぽい斑の背がしげみ越しにチラチラと見えた.ヤマカガシだった.不意に逆S字に曲がった体が草むらから現れて、周りの様子を窺うかのようにススッと回転し、頭が私の方を向いて止まった.5 m以上の距離をはさんで、一瞬目が合ったような気がした.すぐさま体はもとのライン上に戻り、草むらの揺れ動きはそのままスピードを上げると、やがて気配は崖近くの樹の根方へ消えていった.その時ふと思った.草のしげみがもっと深かったら、ヤマカガシは体をもっと高く持ち上げたのだろうかと.周囲を見渡したい高さに応じて持ち上げられる体の部分は長くなるのだろうか、体長比でどれくらいまで持ち上げられるのだろう、と次々に疑問が湧いてきた.そもそもヘビに上半身はあるのだろうか、腰というものはあるのだろうか?

2008年9月16日火曜日

海の中のムカデ

 高校時代の友人であるA氏が訪ねて来た.高校教員をしている彼は多趣味で興味の範囲も広く、話が面白い.驚くようなエピソードがポロポロこぼれてくる.今回は1200 ccのオリジナルチューンナップのバイクで伊豆に来て神子元島で潜ったという.ボートダイビングのエントリー前に、なぜか頭のてっぺんをスズメバチに刺され、腫れ始めているのに心配しつつもエイヤッと潜ってしまったと、そんな話を聞いた.それで、自分も似たような体験をしたことを思い出した.外浦のアマモ場で調査潜水を行った数年前のことである.調査のためにチャーターした漁船からスキューバ潜水の装備で海に入ったとたん、右足のつま先に鋭い痛みを感じた.次第に痺れが脚を上ってきた.これはムカデだな、と感じたのだけれど、海の調査では万事段取りが決まっていて、潜水時間内での作業の割り振りも決まっている.漁協手配や漁船のチャーターまでしてこの日にこぎ着けたのに、自分がここで抜ければ、また全てやり直しになる.ムカデごときでそんなことになってたまるかと思い、痛みと痺れをこらえて作業を続行することを密かに心に決めた.その前に、本当に敵がムカデなのか確かめようと思い、海中でマリンブーツを脱いで、逆さに振ってみた.ゆらりと出て来たのはやはり中くらいのサイズのムカデだった.ムカデにしてみれば、海中に投じられるとは思いもよらぬ災難であったろう.海の中でまだ少し足を動かしながら、海底に向って落ちていった.ゆらゆらと沈んでいったムカデの姿が、『冒険者たち』というフランス映画の中で女性が水葬されて沈んでゆくシーンとダブって、なんだか困ってしまった.

2008年9月15日月曜日

灯りと闇

 夜の堤防にひとりで出かけることがよくある.ウミホタルのトラップを仕掛ける時とそれを回収する時、それに観察後のウミホタルを再び海に放流する時である.もう何年も前から学生実習や自然観察会のためにやっていることだ.始めのころは懐中電灯を持って出かけた.でも、バケツやらトラップやらに加えて懐中電灯まで一緒に持って歩くのは面倒なので、あるとき灯りを持たずに出かけた.危ないかなと思ったが、実際のところ何も困らなかった.暗さに眼が慣れると、たいていのものが見える.堤防付近は浜からの薄明かりもあるし、月明かりのある時はなおさら明るくなる.むしろ灯りのある時の方が、灯りの輪の外の暗さを強く感じる.当たり前といえばそうなのだけれど、闇の濃さは灯りがあると生まれることを実感した.

2008年9月14日日曜日

イノシシの話

 伊豆下田は海に面していると共に山が背後に迫っている.このため、カニが徘徊する海岸付近にもイノシシが盛んに出没する.近頃はお出ましの頻度が多すぎて、実験センター構内の土手をほじくり返されて地形まで変わる始末となった.我が家に関して言えば、庭の畑の作物は、収穫頃になるとみんな掘られてしまう.それに、庭でイノシシに走り回られたのじゃ、危なくってしようがない.そんなこんなで、ついに今年の始め、イノシシが活動開始する前に、実験センターの敷地をぐるっと囲う鉄柵が築かれた.これでイノシシの出現はぴたりと止んだ.おかげで、今年はトウモロコシも芋も豆も収穫できた.でも夜中に柵ぎわでブホブホと抗議の声をあげているのは何度も耳にしていた.夏の盛りの頃に、夜中にイノシシ柵近くを通りかかったところ、柵の内側に小さなウリ坊がいるのを見つけた.柵の網目をくぐり抜けることができるらしく、どうも出たり入ったりして遊んでいるような感じに見えた.まだ生まれて間もないのか、それとも生まれついて度胸がよいのか、人に対する警戒心も薄いようで近くまで寄ってきた.そのあとからセンター内でウリ坊の目撃情報が相次いだ.どうもだんだん大胆になって来たらしく、夜中のセンター構内を駆け回っているらしい.一昨日の夜中に久々に見かけたウリ坊は、ひとまわり大きくなったように見えた.まだ柵の網目を抜けることができるのだろうか、それとも秘密の出入り口のような場所を見つけたのだろうか.私が近付くと、かなり間合いがあるのに接近を察知して姿を消した.しばらくの間に少しは怖い経験を積んだのかもしれない.
 今朝女房から聞いたイノシシ話が面白かった.下田の旧町内でも、この夏はイノシシがかなり出没しているらしい.ある寺では、畑に作っていたサツマイモを一夜にして全部掘り上げられ、食われてしまったという.やはり採り時のよい頃合いに全部やられたらしい.悔しい思いをして畑に面した低い窓をふと見ると、イノシシが鼻先を押し付けてできた見事な鼻面マークが付いていたという.お寺の家族は、イノシシが芋のお礼に判子を残して挨拶していったんだなと、微笑んでいたという.そんな可愛らしい考え方のできる人たちは、心温かで素敵だな、と思った.

2008年9月13日土曜日

ひたすらデータいじり

 本日はひたすらデータいじりで過ごしている.環境省の全国藻場調査における葉上動物調査のデータとりまとめと報告書執筆が締め切りデッドラインぎりぎりの状態になっているのだ.2002年から5年間にわたって行った北海道から沖縄に至る129ヶ所の調査地のうち、葉上動物調査が行われたのは主要な30ヶ所あまりだ.採集後に仕分けしたサンプルは各分類群の専門研究者に送って、標本の所在がはっきりしていて同定が確かな生物リストを作成してもらった.また、各地における葉上動物量の比較検討を行うため、統一手法での定量採集も行い、動物群毎に計数と解析の作業を行った.只今これらの総括を行っているわけだ.長い調査の最終とりまとめである.藻場調査としては、構成海藻の定性および定量調査を行うのが常道だが、葉上動物の広域調査まで含めるというのは、世界的に見ても前例のない類いのものだと思う.頑張りたい.
全国藻場調査のホームページは環境省生物多様性センターのサイトにある.http://www.biodic.go.jp/moba/

2008年9月12日金曜日

タングブロッキングは素敵だ

 ハーモニカの奏法には、パッカリングとタングブロッキングがある.パッカリングは口先を突き出してハーモニカの1穴分だけくわえて単音を出す方法で、ハーモニカを吹く時一般にはこの方法が主流だろう.タングブロッキングはハーモニカをガバリとくわえて要らない音を舌でふさいで必要な音だけ出す奏法で、コツを飲み込むまでは単音を出すのがなかなか難しい.でも、オクターブ奏法やアタック奏法にすぐに移れる利点がある.ふつうは舌で左側をふさぐけれど、舌の動きで右ふさぎと左ふさぎを自在に行えると、いきなり1オクターブ音を飛ばしたり舌先トリルなぞもできるようになる(ちなみに、このあたりのテクは私は未だうまくやれない).
 もうずいぶん前になるけれど、私が渋谷にあったブルースハープ教室の門を初めて叩いた時のことである.ARI こと松田先生にどんな音楽をやりたいのか問われて、ジャズやブルースのようなジャンルをやりたい旨伝えると、それなら西村ヒロ先生に付くようにと言われた.その教室ではポップスやカントリーなら松田先生、ジャズやブルースなら西村先生という分け方になっていたらしい.いま思えば、その時が私がタングブロッキングへの道を知らずに選んだ瞬間だったことになる.あとで知ることになったが、西村先生は『タングブロッキングの第一人者』として知られる人だった.成り行きではあったけれど、自然にタングブロッキングからハーモニカを学び始めることになったのである.
 始めは音が出しにくくて、大変に厄介であったけれど、ハーモニカがなじんでくると、タングブロッキングは口腔内や舌の微妙な感じが直に音になる感じ、奇妙にアナログな感じ、何となくパッカリングよりも緩くて良いような感じなのである.タングブロッキングで困る点に、オーバーブローがやりにくいこと、高音部が出しにくいことがある.上級者になればタングブロッキングでもこれらが出せるようになるのかもしれないが、私はこのような場合にはパッカリングで吹く.でも、タングブロッキングの方がハーモニカとの密着度が高くて、楽器との一体感が大きいように思う.息もよりストレートにハーモニカに入ってゆく感じがする.タングブロッキングは素敵だ.

2008年9月11日木曜日

ウニの前後

 今回の実習の自由研究で、ウニという生き物に前後があるのかを調べた班があった.ムラサキウニでは、棘の短い方を前にして進み、横に動くことはあっても後退することがないということだった.一方、棘の長さに偏りのないバフンウニでは、特定の方向のみに動くことはなかったらしい.これらのウニの背面中央に位置する肛門の周囲には5つの生殖口があり、その近くにウニの水管系の水の取り入れ口である穿孔板がある.その存在によってウニの背面は完全な放射相称ではなく、左右相称になっている.その位置がムラサキウニの棘の長さや進行方向に関係あるのではないかと思って学生たちに調べてもらったが、全く関係ないという結果が得られたらしい.興味深い話だ.追試してみたい.

2008年9月10日水曜日

メジナの食べたもの

 只今A 大学の臨海実習の最中である.昨日のプランクトン観察はプランクトンの種類が多様で、まるで宝石箱をひっくり返したような状態だった.カイアシ類・エビやカニ類の幼生・二枚貝の幼生・巻貝の幼生・ヒラムシの幼生・オタマボヤ・ウキツノガイ・ユメエビ・ヤムシ、それに渦鞭毛藻類と珪藻類が顕微鏡の一つの視野の中にひしめいるような場合もあった.大学の臨海実習の多くは磯観察に良い時期に合わせて、春に行われれる.しかし、プランクトンは春の時期には植物プランクトン量が大変に大きく.動物の種類数はたいてい控えめである.いろいろな動物プランクトンをじっくりと観察するのであれば、初秋の臨海実習がお勧めだ.
 今日は磯採集を行った.採集した動物については、班ごとにさまざまな観察を行っていた.貝類の歯舌を調べるもの、アコヤガイの鰓を調べるもの、ウニの外部形態や顎の構造を調べるもの、フジツボの体のしくみや交尾針内の精子の観察を行うものなど、みな熱心に取り組んでいた.ある学生がメジナの幼魚の腸管内容物を調べたところ、ほとんど1種類からなる大量のカイアシ類が見出された.試しに概数の推定をしてもらうと、43,600 匹という数が出た.おそらく中層付近でカイアシ類のスウォーム(群れ)を襲って食したものであろうが、学生たちには単一種が大量に入っていたことが不思議だったようで、ちょっとした推理ゲームのような様相となった.手元にある小さな発見について、海の中を思い浮かべながらあれこれ考えるのは、なかなか楽しいものである.

2008年9月9日火曜日

海を渡るアゲハ

 今日の午前中は A 大学の臨海実習でプランクトン採集を行った.午前9時に船着き場から研究調査船『つくば』(18 t、30 人乗り)に乗船した.下田沖約 2.5 km の採集地点に向う途中、2 km ばかり進んだあたりの海上をアゲハチョウが一頭舞っていた.モンキアゲハかナガサキアゲハだったように思う.少し強く吹き始めた北東風の中、水面から 2-3 m の高さを沖に向って飛んでいた.ほんの短い時間だけ目にした光景だったが、その印象は強かった.アゲハチョウはのびのびと自由に見えた.少なくとも陸に留まってるのとは明らかに違う何かを感じて飛んでいるのだろうと思った.でもどうなってしまうのか、心配でもあった.その後、無謀な飛行を続けて海の藻屑となっただろうか.上手に風に乗って石廊崎あたりに首尾よくたどり着いただろうか.風に押し戻されて出立した陸地あたりに戻っただろうか.あるはずの真相を、知りたい気がしない.

2008年9月8日月曜日

検索してみた

 『つれづれ雑感』に記したあんぱんとコーヒーの相性の話、新幹線のシートベルトの話、通勤電車の6つドアの疑問、それに熊本県庁前のギンナンの話について、試しにキーワードを入れてグーグル検索してみた.いずれについても,情報を得られる可能性について、あまり期待しないで検索した.ところが、世間は広いものである.

1)あんぱんとコーヒー:相性についての意見交換やウェブページをたくさん発見した.
  同志を見つけた思いで、嬉しい.
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127129842
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116792536
  http://eggnog.exblog.jp/1762123/

2)新幹線のシートベルト:同じ疑問を持つ人々がいた.やはり、着用した方がいいには違いないらしい.
  http://blog.so-net.ne.jp/a-cyan_chichi/2008-02-07
  http://okwave.jp/qa2705816.html 
  http://ch01617.kitaguni.tv/e549372.html 

3)通勤電車の6つドアの疑問:通勤ラッシュ対策の車両らしい.混みそうなところにつなぐのだろうか?
  http://tetsuomiya.at.webry.info/200706/article_24.html

4)熊本県庁前のギンナンの話:なんと、この件についても情報が得られた.
  早朝に拾っていた人がいるらしいことも明らかになった.
  熊本県庁ではギンナンを拾って業者に売っているという噂もあるようだ.
  http://ameblo.jp/hometheater/archive1-200508.html
  http://tarou.269g.net/article/5577306.html

 自分の感性がどれくらい他の人たちとずれているかとか、自分の感じた疑問を他の人も疑問に感じ、それに対して答えを得ているのかとか、そんなことを即座に調べることのできる、面白い時代になった.

2008年9月7日日曜日

バスに乗って

 熊本県庁前から高速バスが出ているのに気付き、当初の予定を変更してバスで博多駅に向った.到着まで2時間を要さず、運賃は 2,000 円だった.バスと市電を使って熊本駅に出て、そこから博多に向っていたら、特急が自由席でも総額は 4,000 円近くなっていたはずだ.重い荷物を持って駅間を移動する必要もなくて、とても楽だった.差額で家族への土産を買うこともできた.ああ、知っていれば、往路もバスを使ったのに!

2008年9月6日土曜日

県庁の銀杏

 熊本県庁前は幅の広い遊歩道のようになっていて、門を完全には閉じないために休日や夜間や早朝など時間外にも出入りができる.十数階建てのお城のような県庁ビルとその前に広がる自由な緑の対照が面白い.正門側から西門方面に構内を抜けようとするとイチョウの並木道を通ることになる.イチョウは、東京周辺で見慣れたものよりも、ずいぶんと葉が小さい.今の季節はギンナンがあちこちに落下している.その実もずいぶん小ぶりのようだ.そういえば、あの独特の臭いもしない.ずいぶんとたくさん落ちているのに、人に拾われている様子もない.あのたくさんの落下ギンナンはどうなるのか、ちょっと興味がある.

2008年9月5日金曜日

バスを待つ

 学会の会場を出たのは夜8時ちょっと前だった.滞在ホテルに向うバスに乗るために、会場近くのバス停に向った.街灯から遠くて薄暗いなか、バス停のポストには既に1グループ6人ぐらいが並んでいた.そのうしろに女性がひとり連なっていた.私はその後に並んだ.バスを待つ.来ない.バスを待つ.来ない.やって来たと思ったら別の系統で行き先が違う.またバスを待つ.まえの女性がふと振り返って、ちょっと驚きの表情を見せた.つられて振り返って、私もびっくりした.バス待ちの列は遙かうしろまでいつの間にか伸びていた.でも、バスはまだ来ない.もう後ろも振り返らないで、じっと待つ.ちょっと先の交差点の信号からぐるっと左折してバスの車体と系統番号が見えて、それが私たちの行き先を示すものだった時、皆からオオッとどよめきのような声があがった.なんだか拍手したい気持ちになる.奇妙な一体感を感じた.30分あまり薄暗闇の中でじっと押し黙って過ごして、そして生じた一体感だった.それは、バスの入り口ドアから先を競ってステップを登る時には霧消していた.

2008年9月4日木曜日

シートベルト

 早朝、高速バスで筑波から東京駅に向った.3枚で1,900円の上り専用回数券ができて、しかも大学発が運行し始めたので、寝不足で荷物が重くてTXの地下駅の階段をバタバタ登り降りしたくない朝には、高速バスがぴったりだ.このバスはシートベルトの着用が義務づけられている.少なくともドライバーさんが放送ではそう言っている.でも、着用の有無をチェックする人もいなくて、周りを見回しても真面目に使っている人は少ないようだ.私は生真面目な人間なので、たいてい律義に着用している.こちらのドライバーがどんなに頼れる人でも、対向のトラックが突っ込んでくることもあるし、最近では対向車からはずれたタイヤが観光バスの運転手の顔を直撃した事故もあった.どんなに恐ろしい事が突然起こるか分からないのである.
 今回は空路を使わず、ひたすら陸路西に向い、博多からは『リレーつばめ号』で熊本を目指した.その途中の窓外には、あちこちに建設中の九州新幹線の高架コンクリート橋脚が見えた.完成すれ
ば八代で現在の九州新幹線の営業路線につながって、博多から鹿児島まで新幹線で行けるようになるのだ.夢のような話だけれど、完全実現の折りには、是非とも皆が利用してほしい.赤字路線にしてほしくない.
 今回いろいろな座席を乗り継いだ.N700系のぞみの車両内にはパソコンや携帯電話用の電源コンセントまで窓際座席にはあって,存分に学会準備のパソコンいじりも行えた.つばめ号内部は航空機内のようなコンパクトだけれど落ち着いた感じで、座席テーブル以外に肘のところにドリンクテーブルもついていて、おまけに足載せまであった.リレーつばめ号はガンメタル塗装で鬼の面のような奇妙な顔をしている.西日本に来ると変な顔の特急がいろいろあって、なんだか楽しい.遊び心を感じる.熊本から水前寺まで乗ったワンマン電車は2両編成で座席の座面が各々独立していて、みんながチョボンと座っている感じで、全体的になんだかかわいらしかった.いろいろなのに乗ったなーと順番に高速バスまで思い返して、ふと考えた.新幹線はあんなに途方もない速度で走るのに、乗客はなぜシートベルトを着用しなくてよいのだろうか?乗っている時はスピードの恐ろしさなんて感じないのである.でも、熱海の駅で乗り換え待ちの時、駅ホームでたいてい上り下り2編成ずつくらいの通過車両を見送る.目前をあっという間に通り過ぎてゆく上り電車の風圧を感じる時、新幹線の速度が恐ろしくなるのだ.シートベルトを着用しなくてよいのだろうか?

2008年9月3日水曜日

電車のドア

 熱海から新幹線に乗って東京に向った.文庫本の文字を目で追うのに疲れたので、新横浜を過ぎたあたりから、窓外の様子を眺めていた.やがて、品川あたりから並走する山手線を見ていて、あることに気づいた.ドアが4つある車両と6つある車両があるのだ.6つドアの車両は1編成の真ん中あたりに1両だけあった.そのあと並走していた京浜東北線にも6つドアの車両があった.こちらはホームの陰に隠れて、編成のなかのどの位置にいくつあるのかは分からなかった.6つドア車両の位置には何か意味があるのだろうか.それとも偶々つないでいるだけなのだろうか.なんだか気になった.

2008年9月2日火曜日

養成講座に向けて

 午前中、海洋自然塾の長であるK 氏と下田市役所の S 氏が来訪し、10月4−5日にセンタ−で実施予定の海洋自然塾自然観察指導員養成講座の詳細プランについて話し合った.早いもので、養成講座は今回で第5回めとなる.現メンバーの根気強い頑張りのおかげで、自然塾は活動によいルーチンができて、全体的に軌道に乗ってきた.あとは活動を支えるメンバーの裾野を広げてゆくことが大切だ.そして、皆が楽しく参加してゆけることが肝要だろう.最初の頃は動いてゆくだけが精一杯で、楽しく感じるゆとりがなかったようだけれど、今年あたりから、皆が活動に今までよりも楽しさを感じ始めて来たような、そんな気のすることがある.余裕ができて来たのだろうか.忙しい人たちばかりだから、時間の余裕でなく心の余裕が生じてきたのだろう.10月のプランの話をしていて、やっぱりとても楽しくなる予感がした.実施側が楽しく感じ始めたら、きっと参加者も楽しめることだろう.ゆっくり我慢しながら動かして、だんだんにスキルアップして余裕が出てきて、やがて楽しくなって、やめられなくなってゆく.なんだか中年からの筋トレとかテニスのようである.

2008年9月1日月曜日

カジメに番号マークを付けた


 本日午前中は1時間あまり水深8−9mに潜水し、天然カジメに個体識別のためのマークを付けた.筑波大 H 研 K さんのヘルパーである.12リッタータンク180気圧詰めで、残圧30気圧あたりまでに何株にマークを付けて計測できるかチャレンジした.K さんはまだスキューバダイビング初心者だが、落ち着いて番号タグを袋から出して,横から差し出してくれた.ぎりぎりまで頑張って、結果は31株だった.もう少しやれるつもりでいたので、少々残念だった.次回記録に乞うご期待である.写真は番号タグのついたカジメ(前回マーキングを行った6月に撮影).

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