2009年5月27日水曜日

ガラスの植え込み

 金門島の磯に干潮時に出かけたところ、潮間帯のある高さのところに帯状にキラキラする物がある.よく見てみると、色とりどりのガラス瓶のかけらをコンクリートの塊で岩の上に植え付けたものだった.取り付けてからずいぶん時間が経っているらしく、ガラスが抜け落ちたり欠けたりしたものもある.それでも、うっかり転んで手をついたら大怪我をすることは明らかだ.海に近づくために磯を突っ切ってゆくときには、どうしてもこの『ガラス地帯』を通り抜けなければならない.水試の課長さんに聞いたところによると、これは 1950 年代から 1960 年代に中国との関係が悪化した台湾海峡危機の時代の遺物だそうだ.夜間に中国人が海から上陸してくるのを防ぐためのものだったという.海岸に出てみると、そこには巨大な鉄の柱が海側に傾いて林立していた.これも同じ頃の遺構で、中国船の海岸への進入を防ぐためのものだという.50 年も経つのにいまだに海岸に刻まれた冷戦時の名残は夏のような日射しの中にひんやりとたたずんで、平和ボケした私の頭に大きなゲンコツを一発お見舞いしてくれた.

2009年5月26日火曜日

カサガイもカメノテも

 馬祖諸島でも金門島でも食卓に海岸動物が現れた.馬祖の東引では茹でたカメノテと茹でて味噌か何かで味付けした小ぶりのカキが夕食に出た.カキはひょっとするとケガキであったかもしれない(右上の写真).ケガキをむこうでは『棘牡蠣』と呼ぶようだ.カメノテ(左の写真)については現地の人々に上手な食べ方を教えてもらった.甲殻部を縦にして前歯にはさみ強く咬む.すると甲殻部が横に開くので、そこを手掛かりに殻を取り去って柄の部分の筋肉を引っ張り出してしゃぶりつくのである.はじめは多少のコツがいるが、慣れれば容易になる.皿に山盛りだったカメノテはすこぶるに美味で、皆が手を伸ばしてあっという間に食べ尽くされた.馬祖の南竿では昼食にベッコウカサガイ(右下の写真)が山盛りで出てきた.最初のうち口にするのにちょっと抵抗があったが、食べかけるとくせになりそうなほどに素晴らしかった.とくに背面の黒っぽい内臓のところが美味しい.餌が良いせいなのだろうか.ちょっと心配だったのは、こんなに景気よく獲ってしまって資源枯渇しないのかということだ.実際に生息している場を見る機会がなかったので、どれくらいの密度でいるのか分からなかったが、カサガイの大きさが揃っているうえに値段もずいぶんと安いことを考えるとかなり容易に採集できるのであろう.でも、貴重な磯資源を大事に上手に利用していってほしいものだと念じた.さりながら、この度はたっぷりと食べさせて頂いた.

いつも円卓

 台湾で現地の人々と夕食をともにするときは、いつも円卓だった.人数によっていろいろなサイズの円卓がある.10 人以上の人が集まるようなときは巨大な円卓に御馳走がゾロゾロと並ぶ(下の写真).小さな食堂には小さな円卓があって 4-5 人で囲む(右の写真).円卓につくとみな楽しそうだ.自分の取りたい料理をたぐるために卓を回したり、客人に料理を勧めるためにクルリクルリと動かしたり、どの料理もくまなく全員に行き渡る.上座やら下座やらがないのもよい.大きな卓では向かいの人との距離が遠くなるため、話をするときは近隣の人とするしかないが、遠いところにいる人とは独特のやり方でコミュニケーションを図る.まっすぐに座っていると円座なので視野の中にかなりの人数が入る.すこしだけ視線を動かせば、いろいろな人と目が合う.目が合ったら『**さん、乾杯!』と(中国語で)言って、手元にある小さな杯に入った酒を相手と共に飲み干す.そして、杯の底を相手に見せる.これを視野に入る相手すべてと行なう.一度杯を交わしても、相手から指名されたり、ふと目が合ったりしたら、再び杯を掲げることになる.杯の容量は小さめの猪口程度なのだが、注ぐ酒はたいていかなり強いものだ.ウイスキーなどの場合もあったが、高粱酒であることが多かった.馬祖にも金門にも高粱酒の銘醸があった.このため、まともに一気飲みを繰り返していると、すぐにひっくり返ってしまうことになる.よくしたもので、それぞれの席には水やウーロン茶のコップが予め配されていて、みな一気飲みのあとにはすぐに必ずそれらを飲んでいた.強い酒の喉ごしを味わった直後に腹の中でアルコール濃度を下げるのである.周りを見て私も真似をしたおかげで、倒れることなく高粱酒を存分に楽しむことができた.円卓は素晴らしい.高粱酒は素晴らしい.

2009年5月25日月曜日

肉粽(ちまき)を堪能

 調査途上の石門近くで昼食の時間となり、水産試験所から中国語の英語ガイドのために同行してきていた水試職員の女性にお勧めの昼食場所を紹介してもらった.車の停まったところは食堂ではなく、ハンバーガーショップのような構造の店だった.看板には『劉家 肉粽』と書いてあり、店から出てくる客やカウンターでやり取りする客たちが束ねた紐から何かぶら下げて運んでいた.ここは『ちまき』で有名な店だということで、紐からぶら下がっていたのは笹にくるまれたちまきだった.店内の奥でちまき作りが行なわれていて、その様子はガラス越しに覗くことができる.あちこちに凧糸が張り巡らされていて、厨房というよりは機織り場のような雰囲気だ.私たちはひとり3個ずつになるようにまとめ買いをしてもらい、石門で食べた.束ねたちまきをぶらぶらさせていると、なんだか楽しい.上手に縛ってあるおかげで、振り回しても紐がちぎれることはない.たかがちまきというなかれ.ずいぶんといろいろな種類があったようだ.でも、中国語の読めない悲しさで、メニュー記載の意味が全く分からなかったので、お勧めの 3 種類をひとつずつ買ってもらった.中身の区別は笹の葉の色の組み合わせで行なえるらしい.笹の葉包みを開いて順に食べてみると、中身はそれぞれ全く異なっていた.肉の入ったもの、エビと栗の入ったものなど、それぞれに素晴らしく美味しかった.そういえば、不思議に思ったのは、店内のレジ後のメニューに書いてあった言葉だ.『あんず吟選』とあった.なぜ、ここに日本語のひらがながあるのだろうか、なぜ『あんず』なのだろうか.

石門の巻貝

 台湾調査の2日目は基隆から北西に向かい、台湾本島の北端を目指して沿岸を探査しながら移動した.北端近くに『石門洞』という奇岩と石灰藻の作った『藻礁』を観賞できる『石門』という観光地がある.大型観光バスも停まれるようになっていて土産物屋もある場所だ.海に面した見晴らしの良い場所にウッドデッキがしつらえてあって、食事や休憩のためのテーブルと椅子が配されている.私たちもそこで昼食をとった.その時に妙なことに気が付いた.テーブルの足元に細い巻貝が数えきれないほどたくさん散らばっている.同定に自信がないが、ウミニナかホソウミニナか、いずれにしてもウミニナに近い仲間の貝だ.はじめそれらは海から這い上がってきたものかと思ったが、よく見ると全てが死殻で、しかもいずれも殻の上端が折りとられていた.同行していた現地の水試スタッフに聞いたところ、観光に来た現地の人々が海岸で貝を採集して食べて帰ったあとのゴミらしい.ボイルしたあとで上端を折って中身を吸うとのことだった.聞いたことのない食べ方だったので興味深かったが、ボイルできる環境ではなかったこともあり、試食は諦めた.

2009年5月19日火曜日

鼻頭角のイカ

 台湾本島の北岸に沿って藻場を調査して廻った.基隆を起点に東に進んで行くと北東向きに細長く突き出した岬がある.『鼻頭角』という地名のここは岩場の岸寄り沿岸をコンクリート張りにしてあって、観光客が歩きやすくなっている.大きな落差で海に突き出した奇岩の様子を足元を気にせずにぐるっと眺めてまわることができるわけだ.そのコンクリート通路の途中に不思議なオブジェがあった.3 つ以上は並んでいたと思うが、いずれもほとんど同じ姿勢で型どられた『イカ』だった.頭部と足を持ち上げて不思議なアクションをとろうとしている大きなイカだ.ところが、このオブジェにはどうもおかしなところがある.イカが泳いで移動するとき、漏斗と呼ばれる短い管状の突起を下にしているのが普通だ.進行方向前側にある胴はもう少し真っ直ぐか、むしろ上をやや凸にして反るものである.それを考えるとこのイカは完全に背腹を逆に取り付けられている.つくりがとてもリアルなだけによけいに奇妙な感じがする.体をヒラリと反転させながら水中を突き進もうとするその一瞬を捉えたダイナミックな作品だ、とでも解釈しておこう.

2009年5月18日月曜日

キールンのダイビングショップ

 調査のため台湾に来た.台北(タイペイ)を経て基隆(キールン)に入り、今日の午前は研究所訪問と研究発表会、午後は沿岸で素潜り調査を行なった.午後の調査に先立ってダイビングショップに寄り、スノーケリング用のフィンを買い求めた.かさばるダイビング器材は現地調達することがある.往路の荷物はできる限り減らし、復路の荷物が多くなるのは仕方なしとする.訪れたダイビングショップは店舗の半分がなぜか眼鏡店だった.入り口には『潜水教學 訓練中心』とある(右の写真).店内の壁にダイビング器材解説のチラシが貼ってあって、漢字の使い方がなかなか面白い.マスクが『面鏡』、ウェイトが『配重』、タンクが『氣瓶』、そして一番気に入ったのがフィンで、『蛙鞋』だった.表そうとしている意味も面白いし、文字の組み合わせ方も面白い.私たちはカエル型ワラジ(?)を購入して、午後の調査に出かけた.あいにくにも台湾は今日から梅雨入りし、小雨が降ったりやんだりしていたが、海岸での調査には支障なかった.

2009年5月11日月曜日

おっと失敗タバコグサ

 植物分類学臨海実習が新年度最初の担当実習となる.植物の臨海実習なのだから、その対象は実際のところ藻類である.今日は実習の初日であり、夕方が集合時間になっていたので、午前中に潜水での海藻採集に出かけた.まずスキューバ潜水で水深 10 m 付近の海底の海藻の徒手採集を行ったあとに、海面付近に張った生け簀ロープの付着海藻を採集した.ロープ上に生えた海藻葉動物による摂食や海底からの撹乱等の影響を受けにくいこともあってのびのびと育って美しいことが多いのである.こちらは水深が 3 m 以浅なので素潜りだった.浅いとはいえ素潜りなのだからじっくり海藻の峻別をしている暇はない.ロープをしごくように海藻を一気にこそげ取って網袋に詰めた.そして、筑波から来た実習スタッフに袋ごと渡した.この採集法について、少々の後悔があった.海中で一気に袋詰めした時に、どうもタバコグサが含まれていたらしい.これは硫酸を含む海藻で、弱ると強酸液が出て周りの海藻を変色させてしまう.おかげでせっかく美しいはずだった多くの海藻を傷めてしまった.苦労して採集しただけに残念であった.初歩的なミスなので、恥ずかしくもあった.次の機会には、悪さをする海藻に十分気をつけたい.

2009年5月10日日曜日

カエルいっぱい

 志津川で田仕事をしていると、しょっちゅうカエルに出会う.田に水を引く水路の泥の中から顔を出すもの、水際の草の上にいるもの、乾いた田で土を起こしている時に現れるもの、などいろいろである(写真は今年志津川で撮影したもの).
これまでカエルの種類について気にかけたことがなかったのだが、今回はやけに数が多かったので、プラスチックケースの中に入れた 40 匹ばかりをざっと眺めて、手近かにあった子供用の図鑑の絵と照合して種類の見当をつけてみた.ニホンアマガエル、カジカガエル、ツチガエル、モリアオガエルと分けてみた.かなりいい加減な仕分けだったので、同定が正しいかどうかは分からない.来年までにはひととおりの種類の特徴を頭に入れて、種判別ができるようにしておきたい.志津川の夜はカエルの声に包まれていた.種ごとに鳴き声も違うのだろうかなどということも気になり始めた.長く気にかけなかったことに、ひょんなきっかけからスイッチが入って興味を持ち始めることがままある.今回も志津川に通い始めて 10 年以上経ってからスイッチが入ったようだ.しばらくの間、カエルを気に留めてみたいと思う.

2009年5月8日金曜日

蒸しホヤ

 食用のホヤは赤いパイナップルのようなマボヤである.皮嚢と呼ばれる赤い皮の内側の黄色みがかった筋肉部分を食べるのだ.でも、味や匂いには相当くせがある.東北の人々は都会に出まわるまでに鮮度が落ちて異臭が強くなると言う.新鮮な状態で食べれば抵抗なく刺身で食べられると言う.本当なのかもしれない.でも、新鮮だといわれる現地で刺身で食しても、好んで食べたいほど美味しいものだとは思えなかった.それが、今年になって、もっと食べたいと思える調理ホヤに出会ったのである.はじめはお土産として下田に持ち帰られたものを 2 切ればかり食べた.そして、その味に惚れ込んだ.それは『蒸しホヤ』である.厚みがあって柔らかで食べやすいスルメが、素敵な香気をまとったような、そんなイメージの味だった.下田では少々しか食べられなくて、なんだか幻を見たような心持ちだった.だが、先日志津川に出かけた時に、観光イベントの食品フェアの会場のようなところで再会することができた.パック入りで 400 円のものをたっぷり食することができた.運転していったために酒の友にすることができなかったのが心残りだったが、その味わいをリアルなイメージとして舌に刻み付けることができた.すこしばかり幸せになった.

2009年5月7日木曜日

いのちの洗濯にゆく

 1996 年から毎年のゴールデンウィークあたりに宮城県南三陸町(旧志津川町)で農作業を行なう習慣が続いている.これまでの 14 回のうちで私が行けなかったのは 2 回のみだ.兼業農家の T 氏の家に2-3 泊して田植え直前の田仕事を手伝う.短期間なので実際にはたいした助けにならないのかもしれないが、いちおう援農のつもりである.筑波大学を退職後に志津川に教育研究職を得て住んでおられる Y 先生のご様子をうかがいに行くことも当初からの目的である.加えて、何よりも 山の自然の中で無心に働くこと、そして同い年の T 氏と家族ぐるみで交流 することが楽しいから、こんなに長く続く行事になっていると思う.滞在中の主な作業の第一は田んぼの近くの川をせき止めて貯水池を作り、田んぼに向かう水路に水を流す準備をすることである.河床に転がる大小の石を積み上げて、清流の流れをせき止める.石を積んでダムを造るこの作業は力仕事なのだが、達成感があって面白い.休み時間には川虫の観察や川魚探しもできる.第2の作業は川から田んぼに続く水路に溜まった泥を掻き出して土手上に揚げることである.そして第3は田んぼのフレーム部分にあたるあぜ道のところ(くろ)を補強したり成型したりすることとトラクターが入れない角部分の土掘りを行なう田んぼ作業である.順序としては、それから田んぼに水を引いて代掻きに移るのだが、その手前までで私たちの作業は時間切れになることが多い.目的をもって一心に行なう肉体労働は、一年の間にすすけてくる命の洗濯でもある.これまでに毎年いろいろな参加者が同伴参加した.卒研生や大学院生に加えて海外のポスドク研究者が同行したこともある.思い返せば毎年の出来事が少しずつ違っていて、参加者たちは志津川での存在の記憶だけ残して今はあちこちに散っている.はじめの頃には夫婦で参加した我が家はこの年月の中で子供が加わって、家族 5 人で参加するようになった.毎年通っての交流はひと針ひと針糸を通して刺繍をするような感じだ.とつとつと同じような作業を色糸を変えながら続けてゆく.長い年月を経て振り返ってみると、いろいろな柄の絵模様が浮かび出して見えてくるようになる.

2009年5月1日金曜日

生け簀カゴの掃除

 今シーズンの野外飼育実験が終わったので、まる 2 か月間海中に吊るしていた生け簀カゴ 8 個を全部引き揚げた.いちどすっかりきれいに掃除して干してから収納する必要があるため、揚げてきたカゴを屋外の海水水槽の端でタワシを使って掃除し始めた.しかし、内外にびっしりとヨコエビの巣や海藻が付着していて、しかもカゴの目の細かなところまでそれらが入り込んでいるために、タワシのみでは掃除しきれない.磯ガネで細かなところをほじりながら忍耐勝負のつもりで作業をしていた.そこに技術職員の S 氏が通りかかったので、カゴ掃除がいかに大変な作業かを訴え「何とかならないものですかね」と言うだけ言ってみた.同情してもらいたい気持ちが 8 割くらいで、他に方策があるなどとは期待していなかった.ところが、思わぬ返答が返ってきた.「こりゃ、高圧洗浄機でやったら、楽だよ」と言われたのだ.すぐに機械を出してもらって操作を習い、カッパの上下を着込んで新兵器を試してみた.まったくもって、信じられないほど作業が容易になった.高圧水をノズルから吹き付けると、カゴの目や溝に潜り込んだヨコエビの泥の巣が跡形もなく吹っ飛んでゆく.ロープ上にこびりついた海藻などもあっと言う間に姿を消して、カゴの内外は瞬く間にきれいになった.当初は夕方までの作業を予定していたのに、全部のカゴ掃除が 1 時間も経たぬうちに終わってしまった.人にものを尋ねることの値打ちを今日ほどどっしりと感じたのは、久々の事であった.S さん、ありがとう!

閲覧数ベスト5