2009年9月29日火曜日
研ぎ澄ます
NHK の日曜美術館で犬塚勉の特集をやっているのを見つけて,画家の自然へ向き合う姿勢の真剣さに心奪われながら,うちのおんぼろテレビの小さな画面に釘付けになっていた.そこに台所で食器の片付けを終わった女房が通りかかって「えっ,股間を磨ぐって,いったい何の番組?」と私の世界に割って入った.その時は,画家が山登りをきっかけに1980 年あたりから画風を変え,自然の草たちを緻密に画面に描き込むようになり『五感を研ぎ澄まして,自然を描きとろうとした』というようなことをナレーションが言っていたのである.あまり普段からつまらぬ冗談など言わぬ人が,どうしたことか,とぼけて冗談で言っているのだと思った.でも,あえて解説したところ,全くの真面目な聞き間違いであったことが分かって,奇妙な勘違いに2人で大爆笑した.私の体の中に入りかけていた画家の世界は,たちまちくるくる回りながら居間の空気のなかに飛び出して,どこかへ消えてしまった.
2009年9月25日金曜日
フジツボの足にまねかれた
海の生き物について「こんな本があれば良いな」と思うような本が実際に出版された時,小躍りするくらい嬉しくなると同時に,同業者としては「ああやられたな」という気持ちがわずかに胸の中に浮き上がる.近頃出た本の中でそんなふうに感じたのが,岩波科学ライブラリーシリーズの 1 冊として発刊された『フジツボ:魅惑の足まねき』である.思い切り遊びの要素が詰まっている.ページのすみにパラパラ漫画があったり巻末にフジツボのペーパークラフトが付されていたりする.文章はウィットに富んでいて,読んで楽しい.知名度の低い生きものを一般社会に紹介しようとするのは随分と難しい.科学的な正確さを保ったままで柔らかく紹介することがなかなかできない.でも,この本はそれに成功していると思った.楽しく,美しく,科学的である.「ああ,私もこんな本を作ってみたいなあ」と思っていたから,国際甲殻類学会の閉会式の会場でフジツボ研究グループの H 氏にそんな話をして「いい本だねえ」などと嘆息していたら,「著者がすぐ後ろに居ますよ」と言われ,びっくりした.振り返ると著者の K さんが笑っていた.どうもフジツボの足にまねかれたらしい.
2009年9月24日木曜日
別刷りの献辞
東京海洋大学で開催された国際甲殻類学会の東京大会はたいそうな熱気に包まれていた.世界各国から集まった研究者たちが其処此処で固まりあって話し合う姿が見られ,私たちもそんな輪の中に入って楽しい時を過ごした.研究材料を同じくするいわば同好の士が集うと話も尽きない.関連分野の研究のレベルを客観的に知ることができたり,国内外の人の考え方を学ぶことができたり,いろいろな意味に於いて,研究に対してのモチベーションを高めるのには良い機会となった.そんな会場の片隅に『別刷りの持ち寄りコーナー』というのが設けられていた.不要な論文別刷りを互いに持ち寄って一所にまとめて陳列し,空き時間に眺めて,気に入ったものがあったら,厚さに関わらず 1 部 100 円で買い取ることができる.収入は大会運営に活かされる.そこで,思わぬ拾い物があった.仕事柄,ヨコエビ類やワレカラ類に関する論文を漁っていたのだが,10 部ばかり購入してから休憩室でよく見たところ,献辞の付いたものがあった.献辞というのは,論文を出版してその別刷りを関連分野の研究者に送る際に,別刷りの上部に記す表書きである.日本では『謹呈***様』と書くが,英語の場合,相手の名前を先に書いて,『With the compliments of ***』などと,一言添えたりする.私の買った北欧産ワレカラの記載論文の別刷りに付いていた献辞は,デンマークの K. Stephensen からアメリカの W. L. Schmitt に 1931 年に送られたことを示すものだった.『Dr. Waldo L. Schmitt, with kind regards from K. St.』と記されていた.これは,間違いなく K. Stephensen による直筆であろう.ヨコエビやワレカラの新種記載を数多く行ってきた著名な研究者の直筆サインを入手できたのだから,ジャズジャイアントであるソニー・ロリンズのサインをもらったのよりも嬉しいくらいだ.宛先である W.L.Schmitt は十脚甲殻類の研究者で,1965 年にミシガン大学出版から一般向けに出版された "Crustaceans" という本の著者でもある.デンマークの端脚類研究者からアメリカの十脚類研究者に,どんな思いが込められて論文が送られたのだろうか.2人の間には常からはどんなやり取りがあったのだろうか.どんな経路でこの別刷りはこうして私のもとにやって来たのだろうか.献辞を見ていると,想像が膨らむ.この学会では眼に見えぬ多くの宝物を得ることができたと感じていたが,この別刷りは今回の学会で得た唯一有形の宝物である.
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