2015年8月6日木曜日

へんなラジオ体操

 震災後の2011年7月1日からラジオ体操が日常のルーチンになったので、5年目突入だ。7月20日から今年も夏季巡回ラジオ体操が始まった。毎回の放送のはじめに開催地の解説があるため、体操自体は時間が微妙に短くなる。イントロのウォームアップ体操が2種類から1種類になり、第1体操と第2体操の間の「首の運動が4種類から3種類になる。いつもと違うと、なんとなく物足りない。8月2日は驚いた。放送が「みんなの体操」から始まって、やがて第1体操になった。それで時間が尽きそうなので、第2体操がないのかと思っていたら、放送時間がいつもより5分長かった。「みんなの体操」をよく知らないので、達成感のない不完全燃焼状態になり、夏の間これが続くのかと心配したけれど、杞憂だった。翌日から通常の放送に戻って、ホッとした。

2012年9月29日土曜日

オカモノアラガイ

 雨の降りしきった先週の朝、出勤のために農学部北門から入構して歩いていたら、ぬれた道路を小さな黄土色のものが這い回っていた. カタツムリに似ているがドングリのような形の薄く繊細な感じの殻を背負っている.見かけたことのない生き物だった.30 個体は居たのだけれど、通勤のために構内を通過してゆくサラリーマン達は、行き先である会社のことやとりあえずたどり着かねばならない駅のことしか頭にないのだろう.足下なんか見てはいない.小さなもの達は半分以上が踏みつぶされていた.あわてて歩行に急ブレーキをかけた私は、10 個体ばかりを救済してオフィスに運んだ.取り急ぎペットボトルに収納.昼休みにネットサーチしたり同僚に問い合わせたりしたところ、オカモノアラガイであると正体が判明した.翌日の昼休みに大型タッパーを買ってきて、腐葉土と枯れ葉を敷き水分を加えた飼育容器を準備して引っ越し.本日、卵の存在を確認した.どうなることやら.

2012年4月28日土曜日

カラスに接近

 野鳥というのは、ヒトがある一定の距離以内に近づくと、忽ち逃げてゆくものだと思っていた.カラスもそうだったはずだ.ところが、最近、ずいぶんに近くまで寄っていっても、なかなか逃げてゆかないものが多い気がしている.1 m より短い距離まで接近しても目が合っても、平気で柵や樹木の梢や小屋の屋根の上に留って、こちらを眺めながら首を傾げたり羽繕いをしたりしている.これは農学部構内に限られることなのだろうか.大胆カラスがたくさん居るように見えるが、実はいつも会うのは肝の太い特定の個体なのだろうか.通勤時にいつも通る私を識別して安心しているのだろうか.他の人間の接近時には逃げるのか.どのカラスでもヒトに対しては無差別に間合いを縮めるようになっているのか.そうであるなら、最近は苛められることがあまり無いからなのか.興味の尽きないことではある.

2012年2月5日日曜日

無二の一球

 農学部のキャンパスの近くに中学校があって、校庭でソフトテニス部の生徒たちが練習をしている.夏頃だろうか、近くを通りかかった時に、生徒のひとりの背に「無二の一球」という言葉が見えた.被災地での調査を始めた頃で、どんな調査を行えば最良なのか、幾度となく自問自答していたので、その言葉が忘れられなくなった.現地での調査は時間が限られているので、何もかも行うことはできない.でも、しっかりとあとに残って皆の役に立つようなデータを取らねばならないはずだった.毎回の調査を無二の一球としたかった.もうすぐ1年が経つ.毎月何度も被災地での海中調査に通って来たけれど、私たちの調査は無二のものであったか.そんなふうに振り返ると、反省すべき点は次々に湧いてくる.取り返しのつかないような苛立ちすら、いくつも浮かんでくる.でも、本当の評価は後になってからでないと行うことができないはずだ.私たちにできるのは、いまベストを尽くすことだ.できる限り、ありのままの姿を科学的に刻んでゆくことなのだ.まだまだ、毎度毎度を少しずつ振り返りながら、修正を加えながら、日々が無二の一球となるように、努めるしかない.

2012年1月14日土曜日

歩き方百人百様

 街角のファストフード店の窓際に座って、食後のコーヒーを飲みながら外を眺めていると、外の街路を行き交う人々のいろいろな様態が見える.服の色、髪型、体型、同伴者との位置関係、子供の連れ方、荷物の携行の仕方など、様々に違っている.それぞれが個々の生きて来た履歴から吹き出している性状だと思うと面白い.服飾に関係なく、ヒトとしての本質に最も近い要素であるのに、まさに多種多様なのは歩き方である.上体の傾け方、上下左右への振れ方、下肢の曲げ方と延ばし方、歩幅の大きさや着地の仕方などはそれぞれに少しずつ違っていて、それらの組み合わせのあらゆるパターンが用いられているように思える.どうしてだろうか.皆がより効率のよい歩き方を知っているのであれば、歩き姿はもっと相互に似通ったものになるはずではないか.競歩というスポーツがあって、歩くスピードを競うのであれば、効率よく前に進む技術は研究が尽くされているはずだ.それなら、歩き方というものは、なぜほとんど教育されないのだろうか.それとも、近年は教育されているのに私が知らないだけなのか.水泳教室は広く普及していて、老若男女が通って効率の良い泳法を学ぶ.前方遠くからつかんだ水を、しっかりとかいて後ろに運び、手を戻す時には抵抗の少ないようにするなど、そんな諸々を実技で学び取る.でも、そこで学んだことはめったに日常で使うものではない.実用として役立つのは、普通の人には海水浴の時くらいだろう.それに比べると、歩くことは日常に必須である.なんとなくできているように思えることこそ、本当はおろそかになりがちなのだ.教育課程の中で、しっかり教えてみたら良いのではないだろうか.

2011年9月21日水曜日

ヤマボウシがここにも

 トチノキに興味を持ったのがきっかけで、木の名前を調べ始めた.ずいぶん前に買って「積んどく書籍」になっていた「落葉図鑑」が活躍しはじめた.南三陸町へ向かって三陸道を往復し始めた頃だから 6 月半ば頃のこと.調査用の公用車であるダットサントラックの助手席で、高速道路の脇を埋める緑の木々を目で追って楽しんでいた.なかにひと際に目立つ不思議な木があった.適度に高木なのだけれど、樹形としてはなんだかてっぺんの方が平たくて、その平らかに空に開けたところに、まるで白いハンカチをまき散らしたように見えるのだ.緑のこんもりとした木の平らなてっぺんが、遠目には雪をかぶったように白く見える.それが道路際から見渡せる山のあちらこちらにポツンポツンと見えたので、とても気になった.でも、周りの人々は海の研究者.尋ねてみても正体は不明だった.たしか、南三陸町まで 5 往復もした頃のこと.私が復路のダットサンを運転して調査から戻って来て、農学部正門をくぐろうとした時に、自動車用ゲートのバーが上がるのを目で追っていて、ひょいと上を見て驚いた.なんと、あの白いハンカチを頭にまとった大きな木が、守衛所のすぐ近くに 1 本見えたのだ.調査用具を車から降ろし、ダットサンを所定の位置に戻し、さらに事務関係の諸手続きを終えたあと、すぐに木のところに取って返した.そして、目当ての木から、虫食いのない中くらいの大きさの葉を そっと1 枚頂いた.葉の側脈はみんなぐるっと葉縁に平行な感じに内側を巡って先端方向に向けて集まっていた.葉の外形は丸みを帯びて小振りだが、末端だけはキュッと尖って、なんだか見分けが容易そうに思えた.図鑑内をパラパラと探索し始めて間もなく、樹種が判明した.「ヤマボウシ」だった.「あれ、どこかで聞いた名前だな」と思って、しばらく経って思い出した.女房が一昨年の秋、将来シンボルツリーになるようにと家の前に植えた木だった.ひょろっとして、パラパラと枝を天に向けた若木は、あの山々の木々とは同じものに見えなかった.でも、帰宅して玄関脇の木を見上げてみると、なんとここにも白い花が、まだ疎らだけれども咲いていた.

2011年9月13日火曜日

定禅寺ジャズフェスでのハーモニカ

仙台駅 3 階で演奏中の吉田ユーシンさん
 10 日土曜日の午後のこと、デスクワークに飽いて、ひとりで定禅寺ジャズフェスティバルの会場へと出かけた.いろいろな締め切りに追われているので、とてもフラフラゆったりとは過ごせない状況だったが、どうしても聴きたい演奏がひとつだけあった.吉田ユーシンさんのハーモニカライブだ.吉田ユーシンさんはブルースハープを吹く人なら知らぬ人はない名プレーヤーである.『アタラクシア』という CD も出ているし、凄まじいまでに詳細にブルースハープの扱い方と演奏の仕方を述べた教則本も出している.でも、私自身はこれまでライブ演奏を直接聞いたことがなかった.ライブの行われたのは不思議な場所だった.仙台駅の 3 階フロアが 2 階に向かってせり出しているバルコニーのようなところがステージで、観客はここからの演奏を 2 階フロアで仰ぎ見ながら聴く.演奏者は下に向かって乗り出さないと観客が見えないし、観客は首の角度を固定したままで 50 分ばかりの時間を過ごす.双方ともに妙な具合に辛い案配だった.仕方なし.演奏は伴奏無しやら CD 伴奏付きやらといろいろだったが、後半に向かってだんだんに盛り上がって行く感じだった.でも、観客の居る場所は駅構内ということもあって、事情の分かっていない旅行者や通勤客が行き交うなか、聴衆だけが頭を上に向けている状態は、傍から見ると奇妙だったに違いない.曲目は トレインサウンドに始まり、「アメージング・グレースを演ったかな?はっきり順番を覚えていないので、間違っているかもしれないが、イン・ア・センチメンタルムードジョージア・オン・マイ・マインドサマータイムと朝日のあたる家メドレーが続いたと思う.14 時 46 分には今年の定禅寺ジャズフェスに特別な約束事である鎮魂の A 音を鳴らした.1 分間吹き続けるのはさすがに苦しいようで、ベンドがかかったり、コードっぽくなったりした.A 音は駅前の他の会場からも聞こえて来た.近くに居た人が「いつまで音合わせやってんのかなあ」と仲間と話していたのが、可笑しかった.鎮魂黙祷のあとの残り時間は、枯れ葉の演奏だった.ブルースハープばかりでなくクロマチックも登場していたと思う.演奏が盛り上がって来て、もっと聴きたいなあ、と思った頃に、ライブは終了した.駅から歩いて大学のオフィスに戻り、仕事を続けた.疲れよりも心身ともにリフレッシュした感が勝り、仕事がはかどった.

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