2009年10月28日水曜日

スベスベワレカラの辞典掲載

 新種を作ったことがある.大学院時代に発見した種名の分からないワレカラをよく調べたところ,過去に未記載の種であることが分かり,新種としての論文記載を行って発表したのである.ヒドロ虫類の茂みに棲んでいるワレカラだったのだが,体の表面に毛が少なくて光沢があったので,ラテン語辞典を調べて『毛の少ない』という意味の『glaber』という言葉を使うこととした.これをそのワレカラの属名である Caprella に合わせて語尾変化させて Caprella glabra とし,和名は『スベスベワレカラ』とした.それからもうすぐ 20 年近くが経とうとしている.ここのところ新種記載など分類学の仕事からは遠ざかっているが,まだまだ興味が萎えたわけではない.つい先日『動物学ラテン語辞典』という本が新しく発売されたのを聞いて,すぐに学会割引価格で購入した.これまで Jaeger's の 『A Source Book of Biological Names and Terms』という古くから知られた英語とラテン語の本はあったが,これに相当する日本語とラテン語の本が発刊されたのは画期的なことなのだ.届いたばかりの本をパラパラとめくって,知った語をいろいろ引いてみては楽しんでいた.ふと『glaber』を引いてみて,びっくりした.用例として挙げられていたのは Caprella glabra だったのだ.スベスベワレカラという和名も掲載されていた.私のワレカラはいつの間にか辞典に収まっていたのである.嬉しい発見だった.

2009年10月22日木曜日

ベントスを聞かれた

 プランクトンとベントスの研究者が集う学会の年次大会が函館で開催されて,ベントス研究者である私も出かけてきた.会期中は函館駅近くのホテルに泊まった.古くからあった観光ホテルを無理矢理ビジネスホテルに改造したような,新旧和洋がないまぜの不思議な風情のホテルだった.部屋は狭かったがとくに不快なこともなく,朝食はけっこう美味しかった.チェックインした日に外出から帰って,鍵を預けようとフロントマンに挨拶したところ「プランクトンというのは分かりますが,ベントスとは何のことですか?」と尋ねられた.私たちは学会から格安パックツアーで申し込んでいたため,学会に関する情報がホテルにも届いていたのだろう.私は水生生物の生活型による区分けを 2 分ばかりのミニ講義で理解してもらい,ベントスとは底生生物であることを伝えた.翌朝,出掛けにホテルの玄関脇にある『*** 御一行様』と書かれた黒い掲示板に眼をやると『プランクトン・ペントス学会御一行様』と書かれていた.私はすぐにフロントに取って返して『ぺ』を『べ』に書き換えてもらった.

2009年10月19日月曜日

つくり笑い

 学会の年次大会の開催される北海道に向かうため,羽田空港で学生達と落ち合った.思いのほか皆が早く集まったので出発ロビーで自由時間をつくり,学生たちは空港内の売店などに散り,私は荷物番になった.空港の最下フロアの売店で買っておいた安いおにぎりセット弁当をささっと腹に納めたあと,読書しながら合間に辺りを眺めていた.いちばん近くは東京銘菓を名乗る菓子売りの売店で,同じ会社の異なる銘柄の菓子をふたつ並んだそれぞれ屋台のような構造の店舗で売っていた.向かって左側の屋台担当の売り手は細身の若い男性店員,右側屋台の主は若いがハスキーな発声をしそうな雰囲気の小柄な女性店員だった.男性店員は客が来る時はアルカイックスマイルのような,大きいけれど不思議に引きつった笑いを浮かべて,なんだかうわずった感じの元気で対応していた.客が支払いを終えて遠ざかる途端に我に帰ったように笑みが消える.そして,笑い皺をのばすように顔を動かしている.しばらく見ていたら,客が来る度に幾度となくそれが繰り返されるので,なんだか可笑しくて本に目が戻せなくなってしまった.反して,右の女性は滑らかだった.スイスイと水鳥が静かに水面を動いてゆくようだ.接客の度に自然な笑みが浮かんでは,それがスッと弱まって次の客を迎える.2人の違いが経験の多寡によるのか,仕事に対する興味の違いに起因するのか,本当のところは分からない.でも,左の男性には「ごくろうさん,頑張って」と声をかけたくなってしまった.彼の店でなにがしか買ってあげようか,でも荷物から離れるわけにはゆかないな,などと逡巡するうちに,学生達が戻って来たので,荷物をまとめて搭乗手続きに向かった.

2009年10月10日土曜日

磯歩きダイエット

 今年も臨海実習の折りに磯に出かけることが多かった.磯に到着すると干潮時をはさんで動植物の観察や採集をしながら 2 時間以上歩き回る.出かけている間は,転ばぬように滑らぬようにといった緊張もあってかそんなに疲れを感じないのだが,帰って来たとたんに体内に蓄積されていた疲労が急速に浮上してくる.平坦な道を歩いていたのとは明らかに疲れ方が違う.不規則なでこぼこを滑らぬように踏みしめて歩いたり,潮だまりを跨ぐために小さく飛び跳ねたりすることを,ほとんど無意識に近い状態で繰り返しているからだろう.最近磯に出かける時によく『磯がま』という道具を持って行く.先端に金属の鎌状フックがついている長さ一間ばかりの木の棒で,もともとは手の届かない場所の海藻を拾ったり巻き取って採集したりするための道具だ.これを片手に持って磯に出ると,けっこう歩きやすくて重宝する.ちょっと幅の広い水路を飛び越えたり,高さのあるところを飛び降りたりする時など,いろいろに役に立つ.腰への負担も軽減されることだろう.この磯歩きという活動はけっこうなカロリー消費を伴いそうだから,『磯歩きダイエット』などというものが流行ってもよさそうである.肘や膝にプロテクターを着けた老若男女が手にはオシャレなステッキを持って磯を飛び跳ねている様子を想像して,可笑しいような楽しいような心持ちになった.

2009年10月5日月曜日

海の底に漂う

 筑波大学からはいろいろな広報誌が発行されている.年報や新聞の他に速報性のあるものや先生方のエッセイ的なものを掲載するものもある.
http://www.tsukuba.ac.jp/public/index.html
そんななかに学生生活課による『TSUKUBA STUDENTS』というのがあって 1 年間に 9 号と数回の特集号を出している.名前の通り学生生活に関わるトピックについての記事や学生または先生方からの寄稿を中心に構成されている.先日筑波に出かけた時に,昼食をとりに出かけた学食の出口付近のラックにあった最新号を手にしてみた.近づく学園祭『双峰祭』に関連した記事と別に,体育関係の先生が「筑波に居るなら日常に運動をしなければもったいない」といった内容の文章を載せていた.そこには「空気のきれいな筑波キャンパスは日々のジョギングに向いている」という紹介の一方で「プールも近くにあって利用しやすいからぜひ利用すべきだ」と書かれていて,加えて興味深いコメントがあった.プールでの負荷の軽い長距離水泳は『完全な孤独に浸れる時間』であるというものだ.雑音からは遮断され,交通など危険の心配もない.同じコースをぐるぐると泳ぎ回っている限り,他者に干渉されることもない.外界との関わりを完全に断ってもつことのできる自分だけの思考時間になるという.私も同様な感覚をもつことがある.それは,スキューバ潜水で海底の一ヶ所に留まって海藻の計測を行っている時のことだ.一連の計測ルーチンを進めている時に,ふと計測作業の手を止め,海中に向けて顔を上げると,プールでの水泳時よりももっと研ぎすまされた感覚になる.筋肉を動かしている意識がなく体重もあまり感じないから,意識だけが水中にあるように感じられるのだ.体は海に溶けて,意識だけがクラゲのように海中を漂ってゆく.でも,すぐに我に帰って物指しとノギスの数値を読み始める.

2009年10月4日日曜日

ムラサキウニのハートマーク

 ウニの観察会が開かれた.前日に採集した小型のムラサキウニを各人に『マイ・ウニ』として配り,各々大事に観察してもらった.小さなカップにたっぷりと海水を満たしてウニを沈めて,ななめ上から光を当てて実体顕微鏡で観察する.上側にある肛門,下側にある口をよくよく眺めてみる.あちこちで歓声が上がった.いろいろな印象が口からこぼれる.「ウニって,なんて美しいのだろう」,「いろいろな道具が備わっていて,弁慶みたいだ」,「なんだか吸い込まれそうで,宇宙みたいだ」などなど.やがて,「背中に可愛いハートマークがついてます」というコメントがあった.そんなふうに意識して見たことがなかったのだが,確かにウニの肛門の脇にきれいなハートマークが浮き出している.表面には細かな穴がたくさん開いているのが分かる.これは多孔板だ.穿孔板とも呼ぶ.大きなウニだとこんなに目立たないが,マイ・ウニたちの殻が小さい故にいっそう目立つ.ハート形だといちど言われると,他の形には見えなくなってくる.この場所はウニの体内への水の取り入れ口だ.ウニはここから取り入れた水の水圧で管足や叉棘を動かし,運動すると言われている.すなわちウニは水圧を利用して運動するのだ.同じ棘皮動物の仲間であるヒトデもナマコも然りである.筋肉をせっせと動かして暮らしている私たちから見ると,何とも不可思議な生きものたちである.マイ・ウニにはお昼までそれぞれの人間パートナーと付き合って頂き,昼には採集してきたバケツに戻って頂いた.そして,翌日午後にはもといた海に帰って頂いた.潮だまりの真ん中に放たれた小さなウニたちはせわしなく管足を動かして,岩陰を目指して移動していった.

2009年10月2日金曜日

ウニを手探り

 明日の自然観察会は『ウニ』がテーマだ.ふつうウニの実習というと発生観察が主だが,明日の実習では外部形態の観察をじっくりと行う.誰にでもなんとなくウニについての既成のイメージがあるようなのだが,実のところそのイメージははっきりとした形をもったものでも正確なものでもないことが多いようだ.実習では,まずは管足の存在に気付いてもらい,次に口と肛門の位置を調べて,その形状を実体顕微鏡で観察する.そして叉棘や骨片の観察へと進んでゆく.もちろん放卵と放精の実験も少しだけ行う.数個体解剖して,顎の構造なども調べてみる予定だ.顕微鏡を駆使して観察することにより,ウニが本当のところはどんな生き物なのか,その具体的なイメージづくりを目指したい.さて,その観察会に用いるウニを採集するために,午前の干潮時前に磯に出かけた.探すのは小さなウニだ.実体顕微鏡下での観察には,小さなウニの方が便利なのである.抱卵放精実験に使う大型のウニは既に採集してあった.ところが雨が降っていたため,潮だまりの水面を雨粒が叩いて水の中を覗きにくい.干潮時刻にさしかかっていたので,グズグズしていると潮が上がり始めてしまう.そこで,手探りで探すことを思いついた.潮だまりの内側に向かって張り出した岩の裏をそっと指先で探ってゆくのである.磯には危険な生物なども居ると言われているから,誰にでも勧められる方法ではない.でも,これはかなり有効だった.覗きこむことのできない岩の裏を用心深く探ってゆくと,ウニと巻貝の存在を確認することができる.根気よく繰り返すうちに,ムラサキウニとバフンウニを探り当てることができるようになった.そして,殻の丸みの違いからバフンウニとコシダカウニを区別することもできるようになった.おかげで,かなり効率よく3 種の小型ウニを採集することができた.よく考えてみると,ふつう磯採集の時に使う感覚は限られている.海藻採集で現場同定を行う時には,嗅覚や触覚を使うこともある.しかし,動物採集のときはほとんどは視覚に頼っている.次の磯採集の時には,視覚以外の感覚も駆使して臨んでみることにしよう.

閲覧数ベスト5