2010年3月20日土曜日

ぽろりと落ちる

 電車の中でイヤホンをしている人たちがいる.耳から流れてくる情報に気をとられれば、他の感覚が鈍くなるのだろう.今月の筑波と下田の往復のなかで、電車の座席からの立ちぎわにバッグから何かを取り落とす若い女性を 2 度見かけた.ずいぶんと派手にぽろりと物を落とす.携帯電話だろうか、財布だろうか.落下した時にカタンと音がするのだが、本人は気づかない.イヤホンは音も振動も遠ざける.でも、いずれの時にも、たまたま近くにいた人が本人に声をかけて注意を促してくれた.おかげで、彼女たちは落とし物の逸失を回避できた.見ていただけの私は、ハッとしてホッとして、まんざらでもない世の中だとちょっとだけ思った.

2010年3月19日金曜日

磯バンビ

 月曜から始まった 4 泊 5 日の臨海実習が終わった.この実習では、磯の生き物やプランクトンを観察して描いた学生全員のスケッチを、取捨選択せずに編集して冊子にまとめる.編集作業は学生たちが自ら行う.学生たちはその過程で他の人のスケッチを見ることもできる.また、スケッチを切り貼りしてとりまとめてゆくプロセスは一種の系統分類学でもある.学ぶ事は楽しくなければならない.楽しく作業するために、表紙や全体のデザインは絵心のある学生たちに任せ、各ページのスケッチの隙間には落書きをすることも許す.完成した冊子はコピーして学生たちが帰る前に配付するのが恒例である.今回はスケッチのレベルが高かった.加えてとりまとめの手際が良かったせいもあって、ゆとりがあったためか、落書きの量も多かった.そんな落書きのなかに、私を『雌鹿』に例えているものがあった.『磯バンビ』だそうだ.磯採集の折りに、磯全体に散開した学生たちの間をぴょんぴょん訪ねて巡る私の姿を、そのように捉えたらしい.でも、なぜカモシカでもインパラでもなくて雌鹿なのだろう.体型的にはカモシカの方が相応しそうだ.この命名の謎について、ちょっと考えて気が付いた.私は動物以外にカジメの研究も行っている.学生たちもそのことを知っている.きっと、カジメを反対から読んだところから、着想したに違いない.磯バンビはそこからの連想であろう.

2010年3月13日土曜日

東京駅ホームを 300 m 走る

 筑波大学発の東京駅行き高速バスは楽である.上り専用3枚綴り回数券の安さも嬉しい.ところが、良いことばかりではない.到着する場所が東京駅日本橋口であるからだ.この入り口から新幹線ホームに出ると、そこは下り新幹線の最後尾である.熱海に到着した時にホームの階段が近くて降りやすいのは 5 号車の 4 号車寄りの出口なのだ.16 号車から 5 号車までの 12 両という長さは、確か 1 両の長さが 25 m であったことから計算すると 300 m である.末尾の乗車口で乗ってから、中を移動すればよさそうなものだが、途中には通り抜け禁止のグリーン車がはさまっている.ホームを行き交う大勢の人々をぬって 5 号車前端をめざして疾走する.インゴールに駆け込むラグビー選手のようなものだが、違っているのは抱えているのがボールではなくて、本や資料やノート PC の入った重い鞄であることだ.発車時間の迫っている時には、ことに悲惨である.

2010年3月1日月曜日

サザンが D

 ちょっと前に『とめはねっ!』という習字のドラマを見て、『希望の轍』という曲が意識のフィールドに浮かび上がってきた.オレンジ色のハート形太陽がパッケージの『バラッド 3 』という CD を棚の奥から探してきて、埃をはたいて聞き出したら、お久しぶりの他の曲も心に覆いかぶさってきた.『真夏の果実』と『逢いたくなった時に君はここにいない』が『希望の轍』と一緒に頭の中で鳴り止まなくなった.こんな時は『ハーモニカラオケ』に限る.サザンの歌は私にとってはキーが高すぎる.真似して歌っても途中で声が裏返り、やがてかすれて出なくなる.ハーモニカラオケでは、そんな惨めなことにはならない.CD の演奏に合わせてシャドウイングするようにハーモニカで歌うのである.前奏だって間奏だって一緒に歌ってしまうのだ.もちろん完全にフォローするのは難しいけれど、それを試みるのは楽しい.D のハーモニカで『真夏の』も『逢いたく』もほぼ演れる.『希望の』は厄介なところがあるけれど、むりやりオーバーブロウするか無かったことにしてやり過ごす.ハーモニカの『声』は高いパートでもかすれない.だからとても気持ちがよい.

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