2008年7月6日日曜日

長いトンネル

 先週末の沼津からの帰途、夜の東海道線に乗って熱海に向った。目的地には終電での到着になる遅い電車だった。少しアルコールも入っていて本が読めないし、座ったら眠ってしまいそうだったので、立ったまま携帯でメールチェックを始めた。函南を出てしばらくすると、携帯画面のアンテナが全く立たなくなって、長く回復しない。窓の外をよく見ると、トンネルの壁の小さなライトが窓の外を列をなして飛ぶように過ぎてゆく。それで思い出した。丹那トンネルだ。吉村昭の『闇を裂く道』にでて来たトンネルだ。当時掘られたそのままのトンネルかどうかは分からない。確か初めて行われた人力による掘削貫通のあと、機械掘削で何本か掘られたようなことが本にも書いてあった。でも、少なくともこの辺りがあの大事業の現場だろうと思った。70名近くが事故で落命しながらも15年以上をかけて掘られたトンネル、大正時代につるはしで掘り始められたトンネルだ。切符を買ってじっとしているだけで、私たちは空間移動ができる。でも、それを可能にした人たちの労苦、可能にするために陰で働き続ける人たちの努力に、思いを馳せることなど滅多にない。鉄道然り、道路も然り、橋や建物も然りだ。そうか、社会の便利のすべてが、誰かにそっと支えられているわけだな。そういえば最近丹那牛乳の売り上げが伸びていると聞いた。丹那トンネルの貫通で地下水を失ったのが丹那での酪農のきっかけだそうだ。丹那の人たちは水を失い、抗議して戦って、やがて、稲作に代えてやむなく酪農を始めたという。トンネルができなければ、丹那牛乳もなかったことになる。不思議なことだ。そんなことを、トンネルを抜けるまでの間に考えた。トンネルを抜けるとメールが読めるようになった。

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